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今話題の高橋源一郎訳 「教育勅語」

 投稿者:山本 洋  投稿日:2018年10月 5日(金)08時25分31秒
返信・引用
  ■高橋源一郎「現代語全訳」

『はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました?とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね。君たち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。

 そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。

 きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。

 そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません。もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。

 さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。

 というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。

 それが正義であり「人としての正しい道」なんです。

 そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです。

 いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中のどこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです。

 そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上!明治二十三年十月三十日天皇

 とまあ、サクっと訳したので、若干間違いあるかもしれませんが、だいたい、いい線いってると思います。自分で読み返して思ったんですが、これ、マジ引くよね……』

 そして旧文部省図書局が訳した「全文通釈」は以下の通り。

■教育勅語「全文通釈」(文部省図書局による)

『朕(ちん)がおもふに、わが御祖先の方々が国をお肇(はじ)めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又(また)、わが臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一つにして代々美風をつくりあげて来た。これはわが国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。汝(なんじ)臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互(たがい)に睦(むつ)び合ひ、朋友(ほうゆう)互に信義を以(もっ)て交(まじわ)り、へりくだって気随気儘(きずいきまま)の振舞(ふるまい)をせず、人々に対して慈愛を及(およぼ)すやうにし、学問を修め業務を習って知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守(じゅんしゅ)し、万一危急の大事が起(おこ)ったならば、大儀に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為(ため)につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮(きわま)りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かやうにすることは、たゞに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなほさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらはすことになる。

 ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫(つら)ぬいて永久に間違がなく、又我が国はもとより外国でとり用ひても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む』(出典=文部省「聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告」1940年2月。田中壮一郎監修、教育基本法研究会編著「逐条解説 改正教育基本法」から)

「教育勅語」の本質が伝わるのは、いったいどちらでしたか?(本誌・亀井洋志)

※週刊朝日オンライン限定記事
 
 

平和の詩

 投稿者:山本 洋  投稿日:2018年 6月23日(土)20時12分33秒
返信・引用 編集済
  6月23日
沖縄「慰霊の日」 浦添市立港川中学3年の相良倫子さん(14)が、朗読した平和の詩。


「生きる」


私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、草の匂いを鼻腔に感じ、遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、何と美しい島だろう。
青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、ヤギの嘶き、小川のせせらぎ、畑に続く小道、萌え出づる山の緑、優しい三線の響き、照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが、この瞬間の愛おしさが、今という安らぎとなり、私の中に広がりゆく。
たまらなくこみ上げるこの気持ちを、どう表現しよう。

大切な今よ、かけがえのない今よ、私の生きるこの、今よ。
73年前、私の愛する島が死の島と化したあの日。小鳥のさえずりは恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、光り輝いていた海の水面は、戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から噴き出す炎、幼子の泣き声、燃え尽くされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。魑魅魍魎のごとく、姿を変えた人々。阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
みんな生きていたのだ。
私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ。彼らの人生を、それぞれの未来を。疑うことなく思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜の命を。当たり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島のすべて。
私は手を強く握り、誓う。奪われた命に思いを馳せて。心から誓う。
私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないことを。
全ての人間が、国境を越え、人種を超え、宗教を超え、あらゆる利害を超えて、平和である世界を目指すことを。
生きること、命を大切にできることを、誰からも侵されない世界を創ることを。
平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも感じるだろう。この島の美しさを。
あなたも知っているだろう。この島の悲しみを。
そして、あなたも、私と同じこの瞬間を一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっと分かるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。
戦力という愚かな力を持つことで得られる平和など、本当はないことを。
平和とは当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。誇り高き、みんなの島。そして、この島に生きる、全ての命。私とともに今を生きる私の友、私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。真の平和を発信しよう。
一人一人が立ち上がってみんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、私の命が鳴っている。
過去と現在。未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
 

釣り

 投稿者:山本 洋  投稿日:2018年 5月14日(月)15時58分39秒
返信・引用
                釣り

                                     山本 洋

 芦ノ湖で鱒を釣ることを教えてもらったのは、以前の職場の同僚Sさんからだった。三月一日の解禁以後、午前中早くに駐車場に車を停めて、仕掛けを湖に投げる。一昨年から、漁協の取り決めで、陸からの釣りは4月1日からに伸ばされた。ボート釣りは三月からできるので、ボート屋を儲けさせるためだろう。ぶっ込み釣りと言われるその釣法で、ここ十八年の間、随分たくさんの魚を釣った。仕掛けのハリスの細さや長さ、餌を浮かすフロートに至るまで、あらゆる工夫をして臨んだ。岸近くまであがってきた大きな鱒に最後の一暴れをされて、ハリスを切られて悔しい思いをしたので、シーガーという値段の高い糸に変えて、針を結んだり、海釣りで使うクッションゴムをつけたりしてばれないように工夫した。芦ノ湖は山の中腹にあるため、標高も高く気温も平地より5度から10度低く、防寒具は必須だった。釣った魚は捌いて内臓を取り、塩をして、キッチンペーパーで巻き、冷蔵庫で三、四日寝かす。その後、薫製缶で、ヒッコリーやウイスキーオークチップを使って一時間燻蒸して軽く燻製にする。燻製と言うと、飴色の硬くなったものを想像する人が多いのだが、僕の作るのは、そのまま食卓に乗せられるものである。塩加減が微妙で、苦労してちょうど良い具合の塩加減にたどりついた。たくさん釣れた時には、それを近所の人たちに配ったり、職場の友人に配ったりしていた。中には熱烈なファンがいて、今年はまだ鱒は釣ってこないのとそこはかとなく嬉しい催促をされることもあった。
 芦ノ湖で大自然を相手に釣りをしていると、長い時間があっという間に過ぎてゆく。午前三時に家を出て、四時半から釣竿を立てる。午前五時から六時に当たりが集中することが殆どだったが、鱒は気まぐれで、天候や気温、風の具合などで、それまで全く反応もなかったのに、昼過ぎからいきなり釣れ出すこともある。釣れる場所もまちまちで、良い場所には早くから通い慣れた人が陣取っているので、僕はその隙間に入るしかないことがほとんどだった。
 湖をじっと見つめながら一日を過ごす時間はそんなに悪いものではない。それ以外することはないので、ただひたすら釣竿の先かびくりと反応するのを待ち続けるだけである。
 その間こちらにも色々な心境の変化が訪れては過ぎ去って行った。何しろ、十九年と言う長い年月。仕事をしていた頃は一日券しか買っていなかったのが、勤めていた仕事にも一区切りがつき、退職を迎えて毎日が日曜日になったこともあり、年間釣り券を購入して好きな時に訪れることができるようになった。
何もすることがないといっても、好きな小説は駄作しかできないながらも、書き続けていたし、何より好きな読書は着実に、月二、三冊のペースで読み進んでもいた。若い頃挫折したままになっていたプルーストの「失われた時を求めて」も読了したし、最近亡くなった石牟礼道子さんの「苦界浄土」も読み返し、難解な漱石の「文学論」もわからないながら最終巻まで来ている。図書館に毎日九時には入っているから、新人作家の注目の新作も雑誌の段階で読むことができる。新聞も東京、朝日、毎日、神奈川の読み比べができる。
 とはいえ、そんな生活を一年間続けていると息切れもしてくるものだ。そのきっかけは、テニスで右足と左足の脹脛の肉離れだった。若い頃の気持ちのまま、足にも体力にも自信があり、なおかつ最近はトレーニングメニューにベンチプレスなどの上半身の運動を加えて、ますます筋肉に磨きをかけようと思っていた矢先だった。退職を迎えた同僚たちと月二回ペースでやっている湘南台のコートで試合をしていて、チャンスボールにスマッシュをかけようと、踏み込んだ時に右足の脹ら脛のあたりにブチという感触。それ以後、少しでも動かすと痛くて歩けなくなるほどだった。スポーツ整体の病院で見てもらったところ、見事な肉離れ。一月は安静と言われてショックを受けた。二週間後のテニスに、こっそり参加したら、今度は左足の脹ら脛をやってしまった。医師にはもう若くないからと皮肉られ、おまけにレントゲンの結果を見ながら、膝関節の軟骨の磨り減った状態まで指摘された。とどめは年齢によるものと皮肉混じりに言われた。
 体中から太い注射器で血液を吸い取られて行くような脱力感。そうなんだ。僕は若くはない。そんなことはわかっている。でも、僕より年配の人たちだってたくさん、マラソン大会やテニスなどで頑張っているではないか。僕だって、できないことはない、自分を励まして、しばし安静に。その間トレーニングルームでの筋トレもしばらく休みにすると、運動していない体と脳が、悲観的な夢を見せ続けて、すっかり嫌になってしまっていた。書いていた小説も、取りかかってはみるものの、なかなかうまく進んでくれない。何かに躓いてしまうと、派生的に全てが調子を落としてしまう打たれ弱さは自分でもわかっているつもりだった。
 そんなふうに調子をすっかり落としてしまった時の釣りだった。朝三時に起きて、家族が寝ている時にそっと車を出す。その日の予報は曇りだった。芦ノ湖に着くとまだ暗いにもかかわらず、目指すポイントにはすでに人が座っていた。些細なことにも、めげやすくなっている弱い心を奮い立たせるように、五番と六番のボート小屋の間に竿を置いた。明るくなってもどんよりした雲が空全体を覆っている。まるで自分のトーンと同じ鈍色の空に、その日の釣果にも早くも悲観的になりつつあった。やはり五時、六時になっても竿に当たりは無かった。風はほとんど感じられなかった。その時、微かに雲間から太陽がさした。ぼんやり遠く見つめていた湖面に鮮やかな漣の模様が規則正しく刻まれて、どこかの美術館で見たことのある無名の芸術家のリトグラフのような美しい光景が目の前に広がったのだった。自然は人間が意識するとしないに関わらず、こんな瞬間を作り出して、それを見た人を深く感動させることがある。僕は、ただそれだけのことにやけに感動した。ささくれた気持ちを柔らかな羽根で撫でられたような感動。ひたすら僕はその感動を逃すまいと、湖面に視線を注ぎ続けていた。太陽はすぐに、雲の間に入ってしまい、束の間の美しい漣のリトグラフは消えてしまった。僕は、それ以後竿に当たりが来ようが来まいが全く気にすることなく、すでに消えてしまったリトグラフの残像を湖面の上に描き続けた。明るくなって山の小鳥たちが鳴き始め、湖の向かいの山の余花がちらほらと白く斑模様を描いていた。
 予想通り竿には、なんの当たりも来なかった。自然を相手にした時間は瞬く間に過ぎてゆく。昼になって、観光客が多く通るようになった。箱根は外国人客も多く、アジア系の旅行客や、ヨッローパ、アメリカ系の観光客もよく来る所だ。僕がクーラーボックスに腰掛けて退屈そうに竿先を見つめていた時、英語で話す家族連れが歩いてきた。がっしりした体格の俳優のような整った顔の父親と、抜けるように色の白いブロンドヘアーの女の子と、おっとりしたその母親らしい人が、僕の後ろで足を止めた。なんだろうと後ろを振り向くと、色の白い中学生くらいの女の子(西洋人だから、小学生高学年かもしれない)が、僕の横に座って、竿の当たりをじっと見ていたのだった。釣りに興味があるのだなと思った。すると、僕の竿にその日初めての当たりが来た。僕は、少し慌てて竿を上げ、魚がかかったのを確認すると、リールを巻き始めた。やがて魚の姿が見えた。網であげると30センチオーバーのブラウントラウトだった。赤い斑点が体側にまばらに見えている魚体が、網から出した途端地上で踊りだした。その時、じっと座って見ていたその女の子が魚の跳ねるのに興奮した様子で魚を掴もうとした。まだ、針がかかったままなので女の子を制して、魚を掴み針を外した。女の子の魚を見るキラキラとした瞳がとても美しく感じた。後ろの両親は、少し意外な発見でもしたようにじっと女の子の様子を見守っていた。「It’s beautiful!」女の子はそう言って僕がそれをスカリに入れるのを見ていた。女の子はそれ以後も、僕のすぐそばに座って次の獲物がかかるのを見ていた。後ろの両親も娘の行動を尊重しようとするように、近くのベンチに座って黙って様子を見ている。しかし、当たりはなかなか来なかった。三十分くらいだったのだろうか。女の子に次の当たりを待たれた僕にとっては随分長い時間に思えた。時間も時間だとベンチに座っていた父親が腰を上げて女の子を呼ぶ声が聞こえた。とてもソフトな、決して急き立てるような声ではなかった。女の子は一旦立って父親のところに行き、何か話をしていた。父親が僕のところに歩いて来て、フィッシングショップはどこにありますかと聞いて来た。僕は鳥居の向こうにあることを片言の英語と身振りを交えて説明した。きっと女の子が釣りをしたいと父親にねだったのだろう。それを受け入れて、僕に釣りの道具を手に入れる店を聞いて来たのだった。母親は後ろで朗らかな笑みをたたえて娘を見守っていた。幸せな環境で育った女の子なのに違いないと僕は思った。そして、綺麗なブラウントラウトの色を「beautiful」と表現した彼女に釣った魚を見せられた幸運を僕は嬉しく思った。
 魚はそれっきり、竿を揺することはなかったが、それまで僕を支配していた重い気持ちが、なぜか既に癒されつつあることを感じた。
 

絵の交換

 投稿者:山本 洋  投稿日:2018年 3月27日(火)19時37分49秒
返信・引用 編集済
   小学六年の時、絵のやりとりをしていた女の子がいた。南野由利と言って、理知的な眼差しのかわいい女の子だったから、憧れている男子も多かった。
 僕は「巨人の星」という漫画の星飛雄馬が好きで、いつも教室で描いていたのを彼女も知っていたらしく、ある日、私は花形満が好きなのと言って、花形のバットを持っている姿をきれいに画用紙に描いて水彩絵の具で色をつけたのを僕にくれた。
 女の子なのに男の漫画が好きだというのも意外だったが、その描き方や輪郭を象る線が小学生離れしていて驚いたのを覚えている。それから僕もすぐに星飛雄馬を画用紙に描いて同じように水彩絵の具で色をつけたのを、彼女に渡した。
 それが、絵の交換の始まりだった。絵のレベルもその都度お互いに上達していった。それがお互い嬉しかったのだろうか、その付き合いは、中学に行ってからも続き、別々の高校に行ってからも暫く続いた。
 高校に入って、僕は僕だけの彼女が欲しかった。他の友人も女の子と付き合って楽しそうにしていたこともあった。僕はそれを彼女に求めた。高校が違ったので会うことは難しく、文通のような形になった。その頃は、どんな言葉が一番良かったのか分からなかった。その時流行っていた吉田拓郎の『春だったね』や『暑中見舞い』の歌詞をそのまま書いたり、それとなく、江ノ島の海を散歩しないかと誘ってみたりしたが、彼女が手紙にその返事を書いてくれることはなかった。頭の良い彼女は僕との付き合いはそれだけと決めていたようだった。彼女は僕が不快に思わないように次第にフェード・アウトしてくれた。
 時が流れて、大学受験が僕たちにもやってきた。彼女がK大学に合格したと噂で聞き、僕の浪人が決定した春だった。今でもその時の切ない気持ちを昨日のことのように思い出すことができる。その日は、僕が駿台予備校昼間部の試験を受けて帰ってきた時だった。バス停に彼女の姿が見えた。僕の家は遊行寺坂上のバス停の近くで、彼女は緑ヶ丘だったから、バスは同じ戸塚バスセンター行きだった。僕は彼女の存在に気づいていたが、それまでのこともあったし、大学も落ちたし、気恥ずかしいやら、みっともないやらで、そっと肩をすぼめて見えないようにバスに乗り込んだ。その時バスは空いていた。彼女が前の方の席に座ったのを確認すると僕は後ろの方の席に隠れるようにして座った。ところが、一旦前の方に座ったはずの彼女が、僕の座った後ろの二人席のところにやってきて僕に軽く会釈して隣に座り、『山本くん、久しぶり』と懐っこい声で話しかけてきたのだ。僕も、仕方なく彼女に軽く挨拶して黙っていた。その時の僕は頭の中が真っ白で何を言えばよいのかよく分からなかった。
 僕たちの後ろに何人かの人が座ったようだった。バスが出発のアナウンスを流し、扉が閉まった。最初のセンター前のバス停は降りる人も乗る人もなくそのまま通過した。バスが加速して暫くすると、彼女が『私も、J大には落ちたんだよ』と言ってきた。その言葉で、彼女は僕が受験に失敗したことを知っているのだなと思った。僕が冴えない顔をして、彼女を避けるようにして後ろの席に座ったので、そう感じたのかもしれないと思った。僕は咄嗟にどういう意味で彼女がそんなことを言ったのか分からなかった。その時自分の心の中に妙に自虐的などす黒いコンプレックスがくすぶっているのに気付いて僕は暫くじっと耐えた。今何か喋るときっと卑屈になっている自分をさらしてしまうに違いないと考えながら黙っていた。バスが、南中通りから、藤沢橋に着こうとする頃、突然『僕は受けた大学は全部落ちちゃったんだよ。恥ずかしいよね』と心の中にある重苦しい気持ちと自虐的な気持ちを覆い被せるように、彼女に言ってしまったのだった。彼女のその時の微妙な表情の変化、細い眉の片方がわずかに哀しく歪んだようだった。
 バスの外の景色は春らしい柔らかな夕景が街路樹を彩っていた。辛夷の白い花が一斉に飛び立とうとしていた。彼女は『そんな意味で言ったんじゃないのに…』と半ば僕の意外な言葉に抗うように言って黙ってしまった。今まで隣の席で微かに触れていた彼女のスカートの裾が少し遠退いたようにも感じた。彼女はじっと座席の前の中空を無理に見つめているようだった。お互いの中に居心地の悪い如何ともしがたい隙間を僕が作ってしまったのだった。バスのアナウンスが藤沢橋と告げ、バスが停まると、彼女はまだ自分の降りるバス停でもないのに、振り向きもせず、そのままバスから降りて行ってしまった。後悔してももう遅かった。最後に僕に寄り添ってくれたはずの優しい世界全てを壊してしまったような大きな喪失感を感じた。その時に彼女と久しぶりに話したのは、高校二年でさりげなく文通が途絶えて以来だったのだ。文通が途絶えた時に感じた気持ちとはまた違う決定的な崩壊感。今でもその時を思い出すと、どこか遠い北国の薄暗い湖の底にそのままずっと沈んでいたくなることがある。

 

体操着

 投稿者:山本 洋  投稿日:2018年 3月 8日(木)15時36分47秒
返信・引用 編集済
   高校生の時だった。体育の時間は休み時間中に、男子は教室で着替えをしていた。教室の後の壁のフックに吊してある着替えを入れた布袋を探したが、その日は袋ごとなくなっていた。盗まれたのに違いない。僕はそう判断した。体育の教師にその事情を話すという手もあったが、松邨という体育教師は融通が利かず、いつも生徒に難癖をつけては成績を下げるぞと脅してくるのだった。他の教室に行って友人に体操着を貸してくれないかと頼んだが、二、三人当たってみたものの、たまたま別のクラスの友人たちはその日は体育はなく、家に体操着を持ち帰っていて、借りることができなかった。そして、うなだれて教室に戻る途中、隣のクラスの後の壁に僕のものと同じ布袋が掛かっているのを見かけた。隣の教室は生物の移動教室で生徒は移動を済ませていて、誰もいなかった。
 僕はその袋に近づいてみて、それが失くした体操着の入った袋と微妙に違う色であることが分かった。自分のではないが、ぐずぐずしていると体育が始まってしまう。松邨に遅刻で怒鳴られるのも嫌だなと思った僕は、その袋を黙って拝借して、中の体操着を黙って着て知らん顔で校庭に出た。出席点呼の直前だったのでほっとした。終わったら、何食わぬ顔で返しておけばいいや、そんな軽い気持ちだった。
 その日松邨はやけに機嫌が悪く、バトンリレーの練習で少しぐずついた生徒を怒鳴り散らしてうっぷん晴らしをしていたので、あれが本当は僕に回ってくるのだったと思うたびに、密かに胸をなで下ろした。
 体育が終わり、急いで教室に戻り、例の体操着の入った袋を返そうと隣の教室を覗いてみると、顔見知りの中島が「俺の体操着の入った袋がない」と必死になって探していた。僕が黙って借りた体操着は中島のだったんだと思ってすこしほっとしたものの、その場で返すのもさすがにばつが悪く、黙って教室に戻った。
 すると中島は、教室に来て「山本、次は体育なんだ。みんな行っちゃったから、頼む、体操着貸してくれ」と言ってきたのだ。咄嗟に袋から出した体操着を「いいよ」と言って貸してやった。じきに中島は自分の体操着だと気づくに違いないと思っていたので、この時間が終わったら、すぐに謝ろうと僕は観念していた。
 はたして授業が終わると中島は体操着を丁寧にきちんと畳んで僕に「ありがとう、助かったよ」と言って返してくれた。謝ろうと思っていた僕はその機会を失い、「松邨機嫌悪かったろ?」と話題を変えた。
「ああ、あいついつも生徒に憂さ晴らししてるからな。今日は僕がやられなくて助かったよ」と笑いながら言って、戻って行ってしまった。
 僕は丁寧に畳んで返された中島の体操着をじっと見つめた。
 毎時間体育の前になると中島が体操着を借りにきた。本来は自分のものであるのに、中島はそれとも気づかずにいつも終わった後は丁寧に畳んで返してくれた。そのたびに僕は胸の奥のちくりとする罪悪感と同時に中島に対して無類の親近感と悪戯心を強くしていった。すぐにでも、笑いながらあれは本当はおまえの体操着だったんだよと言える日が来るだろうと思いながらも、自分の戻ってこない体操着の代わりに中島の体操着を自分のもののように着続けていた。そのうちに中島は体操着を借りに来なくなった。何回か来なかったので、おかしいなと思って隣のクラスに行ってみると、中島の友達が、あいつは随分前に病気になって入院してしまったらしいと教えてくれた。
 中島が青い顔で病院のベッドに横になっている姿を想像すると、急に自分の罪が許せないものに感じられた。その日学校が終わった後、中島の体操着を持って、中島が入院しているという中央病院に行った。中島のいる病室は308号室の個室だった。ドアをノックするとお母さんが出てきた。その上品なお母さんの顔を見た途端、中島の病気がただごとではないとすぐにわかった。それほどお母さんの目は救いを求めていたのだ。僕は鞄のなかにつっこんできた体操服をなんと言って返そうか迷った。そして、ベッドに横になって以前のふっくらした顔つきの中島とはうって変わったやせ細った中島の顔を見ると、訳もなく大粒の涙がこみ上げてきた。僕はその場で鞄のなかから体操着を取り出して「ごめん、中島、ごめんなー」とあふれる涙を流しっぱなしにして謝った。
 痩せこけた中島はそれでも、無理に僕を慰めてくれようと力無く微笑んでくれた。その姿がいじらしくて、僕は余計に涙が止まらなかった。
 翌日から、授業が終わると毎日罪滅ぼしのつもりで、中島の病室に通った。お母さんの目は会うたびに赤かったし、中島は見る度に一層衰弱してゆくのが手に取るように分かった。次に行く時にはどんな言葉で中島を力づけてやろうか、毎日そのことばかり考えて過ごしたが、その言葉を僕はなかなか思いつかなかった。ところが、ある日病室に行くと、病室は空でお母さんも中島もいなかった。何が起こったのかはわからなかったが、退院したのではないのは確かだった。それから、わずか三週間後に彼は病院の集中治療室で息を引き取った。病名は癌だった。僕が授業が終わって集中治療室に駆けつけた時、中島は親族の輪のなかに何も語れなくなったまま冷たくなっていた。僕はあふれる涙をこらえきれずに、ずっと考えていた場違いな言葉を天に旅立った中島にやっと告げた。
 ――中島、きっとまた元気に体操着を借りに来いよ――と。
 

内部からくさる桃

 投稿者:山本洋  投稿日:2018年 2月 3日(土)13時25分11秒
返信・引用 編集済
  単調なくらいに耐えること

雨だれのように単調な・・・


恋人どうしのキスを

こころして成熟させること

一生を賭けても食べ飽きない

おいしい南の果実のように


禿鷹の闘争心を見えないものに挑むこと

つねにつねにしりもちをつきながら


ひとびとは

怒りの火薬をしめらせてはならない

まことに自己の名において立つ日のために


ひとびとは盗まなければならない

恒星と恒星との間に光る友情の秘伝を


ひとびとは探索しなければならない

山師のように 執拗に


〈埋没されてあるもの〉を

ひとりだけにふさわしく用意された

〈生の意味〉を


それらはたぶん

おそろしいものを含んでいるだろう

酩酊の銃を取るよりはるかに!


耐えきれず人は攫む

贋金をつかむように

むなしく流通するものを攫む

内部からいつもくさっている桃、平和


日々に失格し

日々に脱落する悪たれによって

世界は

壊滅にさらされてやまない


                        茨木のり子「内部からくさる桃」
 

雑感14

 投稿者:山本 洋  投稿日:2018年 1月12日(金)21時55分14秒
返信・引用 編集済
   理論物理学者のS.W.ホーキング博士は、この百年のうちに地球環境が大きく変わる可能性を五つ指摘し、今後100年以内の宇宙移住の提案をしている。
 その五つというのは、1.核戦争 2.地球温暖化 3.AIの反乱 4.新種ウィルス 5.隕石の衝突、である。どれもが現実味を帯びているだけに、不気味な提言である。しかも、宇宙移住計画で、人類の存続のためには十万人がまず、ハビタブルゾーン(生命が存在できる範囲)と言われている火星やプロキシマbなどの星に行かなければならないらしい。多くの学者や冒険家が既に名乗り出ていて、僕たちのような何の能もない人間はその中にはいることはまず無いだろう。だから、ホーキング博士の案ずる五つの要素を一つでも地球から取り除く努力に協力するしか我々の生きる道はない。とはいえ、僕は残された時間があまりないから、どんなことになっても今生きている現実から逃れようがないことになる。
 経済ばかりが優先されている社会では、AIの暴走によっで人が駆逐される危険は大いにあると言える。真偽は定かではないが、AIに地球にとって一番の害はと聞くと人類と答えるらしいというまことしやかなジョーク(?)を聞いたことがある人は多いだろう。
 世界の先進国といわれる国々でも、イギリスのEU離脱やテロ事件などをきっかけにして排外主義的な動きが強まっているのも事実だし、ミサイルを連発する北朝鮮を威嚇し続けるアメリカとそれに追随する政策しか出していない日本の反応を見ていると、核戦争という言葉も妙にリアルに聞こえてくる。
 ただ、ミサイルの脅威や戦争の可能性を示唆することで、多くの軍需産業の株価が高騰し、飛ぶように武器が売れている現実の中で、ほくそ笑んでいる者達も多いことだろう。今の状況になっているのは、そうすることで一攫千金を狙う一握りの富裕層のプロパガンダのせいではないかと思っているのは僕だけではないだろう。そうした富裕層は、あまり考えたくはないが、いざ地球破滅などということになれば、宇宙移住の数少ないメンバーの中にだって入り込めるはずだろうし、戦争が起こっても戦場に立つことはまず無いと見てよい。
 新種ウィルスの存在も、開発が止まらない限り止めることはできないはずだろうし、地球温暖化の問題もアメリカを見ている限りその歯止めにあまり希望を持つことはできない。
 ただ一つそうなったら仕方がないと思われる隕石の衝突だが、将来にわたって衝突しそうな隕石を感知し、隕石を回避する技術が開発されるのはここ百年や二百年の問題ではないだろうからその時は運命として諦めるしかない。ひたすら、自分の生きている時には巨大隕石に落ちないで欲しいとエゴイスティックな祈りをするしかないのである。神に対する祈りというものの起源もどうやらそこにあるらしいので人間はもともとエゴイスティックな存在なのだろう。因みに約6600万年前にユカタン半島に落ちた隕石によって地球環境は一気に氷河期に入ったと言われている。それまで君臨していた大型の恐竜たちはあっという間に姿を消し、代わりに残って進化したのが小型のネズミや鳥だったと言われている。
 さて、大きな話から転換する。最近分かってきたのだが、多くの人達はリタイアした後、自分なりのペースでゆったりした時間を過ごしている人間を見ると、あまり愉快ではないらしい。自分たちと同じように忙しく仕事をして世の中の役に立つべきだと思うのだろうか、あるいば自分たちと同じ辛い思いをすべきだと思うのだろうか。皮肉でも言って嫌な思いをさせて、自分の不愉快の溜飲を下げようと思うのだろうか。
 そんなことより、人生最後のわずかな時間を、これまでのつまらない価値観から離れて、フラットな立場からもう一度世の中を見直してみようと考えることは、とても大切な「価値」あることだと思うのだが、こういう発想の転換は、仕事こそが一番大切だと考える人達はしないのだろう。
 昨日オリンピック出場をめぐって、ドーピング反応でライバルを陥れようとしたカヌーのアスリートのニュースが出たが、競争社会の縮図とはつまりこういう事なのだと妙に納得してしまった。自らがドーピングをして他の選手をしのごうと考えることと、他者を失格させてまで自分を浮かび上がらせようとすることは、本質は同じでも、多分倫理的には同じではなく、後者はより罪が重いと考えられるから後味が悪いのだろう。
 事の善悪を言ってしまえばそれで議論は終わってしまうが、寧ろ僕は、数少ない優秀な敵を陥れれば自分が浮かび上がれると考えた当人の思いの切実さの方に興味を持ち、そういうレベルの競争に追い込まれている社会や集団の構造にも思いが及んだ。
「実績のない人間には意味が無い」という発想。当人が一番その考え方に縛られていたに違いないのだが、あらゆる分野には、こういった暗黙の了解が背後に潜んでいてこの世の中を動かしていることは間違いない。それは、突き詰めれば、「世の中の役に立たない人間は生きている意味がない」という極論に至った相模原の事件の犯人の発想を彷彿とさせる。
 東京オリンピックでマラソンの円谷選手が、実績を出すことの重さに押しつぶされて自害したのはもう随分昔の話だと思っていた。その間オリンピックも長距離の有森裕子選手や高橋尚子選手のように、自分で競技を楽しむタイプのアスリートが心地よい笑顔を提供してくれる場に進化しつつあるとばかり思っていたから、余計今回の思いは重く感じた。「世の中の役に立たない人間は生きている意味がない」今は、この重い問いかけに対して、「いや、人は一面的な価値や意味だけのために存在しているのではないはずだ」と確信して思える自分がいるし、そう思う人が他にも多いはずだと思えることが救いなのだが、このところ、そんな大事なことも世界の中で揺らぎつつあるように思えてならない。「価値とは自分が決めるのではなく、他者が判断するものだ」という冷たい声が。
 

雑感13

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月20日(水)22時46分42秒
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   ハンナ・アーレントは「全体主義の起源」の中で、ナチスに巧妙に操作されたドイツ人の心理について、こう書いている。
「全体主義運動は(略)一貫性を具えた嘘の世界を作り出す。この嘘の世界は現実そのものより人間的心情の要求にはるかに適っている。ここにおいて初めて根無し草の大衆は人間的想像力の助けで自己を確立する。そして、現実が人間とその期待にもたらす、あの絶え間ない動揺を免れるようになる。」「全体主義組織では、嘘は構造的に組織自体の中に、それも段階的に組み込まれることで一貫性を与えられている。このヒエラルキーもまた、秘密結社における奥義通暁の程度によるヒエラルキーと極めて正確に対応している」

 国民よ、目覚めよ。いつまで、レベルの低い排外主義や拝金主義に惑わされているのだ。最後にひどい目に遭うのは「あなたたち」も含めた「私たち」国民だ。希望を持とう。理想を持とう。人と人はお互いに寄り添い助け合って生きていかなければならない。力を合わせれば、人の力は、何倍にもなって効果を生む。地球レベルで環境や未来の危機が問われている時だ。お互いいがみ合っている場合ではない。力を合わせよう。疑心暗鬼や不安を煽られて、分断されるのではなくて、その奥に潜む悪意を読みとろう。そして、にこやかに世界中の人々と手を取り合って生きていこうではないか。
 

雑感12

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月20日(水)22時27分34秒
返信・引用 編集済
   国民はどれだけ馬鹿にされたら、声を上げるんだ?  いや待て、国民の中には、そんな国民を監視してお上に告げ口したり、体制に反対する言説をピンポイントで汚い言葉を使って攻撃し、潰して金をもらっているクズ達がいる。
 ん? 待てよ、これはもう戦前じゃないか。最近田舎の市町村で訓練と称して行われている北朝鮮のミサイル避難訓練。これも戦前か? 危機を煽って憎むべき敵を作り、その憎悪を利用する手口、同じだ。日本を壊滅させるためだったら、まず原子力発電所を攻撃するだろう。それなのに、原発周辺の避難や対策は講じられず、ただミサイルが飛んでくるからJアラート? なんじゃこりゃ。なんだか頭の悪い馬鹿殿に引っかき回されている家来達の慌てぶりを見せつけられているようじゃないか。戦前の威張り散らしていた憲兵や特高警察に対しても、みんな同じことを考えていたのに、治安維持法や国家総動員法で何も言えなくなっていた。あの反省はどうしたんだ。そうだ、携帯電話やインターネットが、お互いを監視している。その先にいるのは、国の言うことに従わない奴は非国民だと潰しにかかる日本会議や金で雇われた潰し隊の連中、またはそれすら知らないネトウヨという戦前の隣組の奴らだ。国防婦人会もいる。
 ナチスナンバー2のヘルマン・ゲーリングは第二次大戦後の戦犯裁判で言った。「戦争をしたいと思う国民はいないが、政府に国民を従わせるのは簡単だ『われわれは外敵に攻撃されている』と叫び、平和主義者を『愛国心に欠け、国家を危険に晒す連中』と決めつけるだけでいい。この手法はどの国でも有効だ」と。
 

雑感11

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月19日(火)14時24分13秒
返信・引用 編集済
  その格差を再分配することで、貧困の側の不満を取り除く仕事をしなければならないのが、政治の仕事なのだろうが、今の自民党・アベ政権はそんなことは元々眼中にない。国民に株に手を出してもらい経済を活性化させる。国民の財産である年金にまでも株投資を25パーセントも上乗せして、つい最近三兆円もの損害を与えているにもかかわらず、その対策は何も取らない。東京電力が、復興のためと称して、電気料を値上げして、自分たちの責任を棚上げして国民に負担を被せているのと同じ論理である。今の為政者は損をしない。なぜなら、全てのシステムを自分たち中心に動かしているからだ。その結果、自分たちにすり寄ってくる者達には限りなく甘く、批判する者には、汚い策略を使って印象操作をし、徹底的におとしめるのが、彼らのやり口だからだ。それは前川喜平前文部事務次官の加計学園問題のニュースでも分かるとおりである。
 そんな中でまた飛び出してきたニュース。朝日8.25朝刊、東電、原電の債務保証検討? 福島第一原発の事故対応が最優先であるはずの東電が、原発専業会社の日本原子力発電の資金繰りが行き詰まっているために金融機関からの借金を保証して支援に乗り出す案があるという。今のところこの記事は朝日しか書いていない。はぁーっ? だね。東電は原発の事故処理の必要から存続を許されている立場なんじゃないのか。いつの間にそんなに余裕が出てきたのか。要するに行き詰まっていなかったんだから、値上げした分の電気代は国民に返しなさいよ。そういう話が本筋なのではないだろうか。今の世の中、政府寄りで、力さえあれば、どんなに国民にとって不条理なこともまかり通ってしまうのだ。ジャーナリストの詩織さん強姦犯人のTBS記者山口敬之でさえ、大きな新聞は何も書かないでもみ消しをはかっている。被害者が顔出ししてまで、被害を訴えているのに安部の近くにいるというだけで、警視庁刑事部長の中村格が逮捕を覆してしまったのだ。こんなのありか?
 

雑感10

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月17日(日)04時24分15秒
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  尻馬乗りたちは、その場限りの優越感を満足させられればよく、その結果が自分たちの身に降りかかって窮屈な社会を形成してしまうことなどには考えが及ばない。なぜなら、窮屈な社会になっても強者の尻馬に乗っていれば安全だと思っているからである。そもそも、そのような人間が信用されるだろうか。いつまでも愚かな者達である。
 悲惨な戦争における一兵隊の心理を深く描いた、大岡昇平の「野火」の一説にこんな所がある。時代背景は、朝鮮戦争時、アメリカの日本への対応が変わり、それまで軍備を持たせなかった政策から、日本の立地を考えて、世界戦略の基地としての日本を捕らえ始め、日本再軍備の必要から警察予備隊が結成されるに至った、そんな時代背景が、今日の日本の状況と似ている。
「この田舎にも、朝夕配られて来る新聞紙の報道は私の最も欲しないこと。つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君はそれが利益なのだから別として、再び彼らに欺されたいらしい人達を私は理解できない。恐らく彼らは私が比島で遇ったような目に遇うほかはあるまい。その時彼等は思い知るであろう。戦争を知らない人間は半分は子供である」
 ヒャルト・V・ヴァイツゼッガーの言葉に「悪を名指しにするのではなく、われわれをつなぎ合わせる代わりに引き離しぶつけ合う『弱さ』が問題なのです」というのがある。
 現代日本の構図として、この言葉は当てはまるのではないだろうか。つまり、経済格差のおかげで大多数の貧困と少数の富裕か生じた。江戸時代に穢多非人という階級を捏造して最下層と位置づけることによって差別させ、貧困な農民達の不満を下層の存在にぶつけさせたあの制度と同じことが現代にも起きている。人間は弱い生き物である。しかし、その弱さに思い至らないものは危険である。身分階層からさらに韓国・朝鮮国籍、中国国籍、イスラム、難民、障害者という階層をつくりあげて、駆逐しようとするその短絡的で危険な流れである。在特会という川崎の朝鮮ヘイトスピーチの代表は、過激な排他的言葉を韓国・朝鮮国籍の人たちにぶつけることで、周囲の困窮者の同意をとりつけている。本来は手を結び、信頼し合うことによって強まる国際間の絆も、ここではずたずたに分断され、お互い憎み合うことしかできない。戦いしかその先に見えてこない閉塞状況に追いつめられている。その原因は何か。ズバリ貧困であろう。貧困は戦争を生む。
 

雑感9

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月16日(土)18時57分40秒
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   人の心は移ろいやすい。日本人は明治時代からこの「世間」に縛られて生きてきた。出典は忘れたが、太宰治の名言「世間とはおまえのことだろう」という言葉が象徴するように、日本人は根拠のない「世間」を基準として生きてきた。時には、「自分の意見」を、さも多数の常識人がそう言っていると思わせるためのトリックとして、ある時は、自分は違うのに、そうせざるを得ないということを弁解がしく表明するための方便として、「世間」を利用してきた。志賀直哉ら近代の文学者が戦ってきた「家」という制度は「世間」でもあった。そして、戦争中は「世間」という監視体制によって、お互いを監視することで、ファシズムという大きな力に靡き利用されてきたのだ。つまり、俗物たちが利用し、追随してきた背後の大きな力によって、戦争中、死なずに済んだ多くの人たちが亡くなり、戦後は俗物達の寄って立つ自民党の一党支配によって、権力を縛るはずの憲法までが歪められてしまいつつあるということである。
 大きな強い者に寄り添っていれば自分たちは傷つくことがない。これは、子どもの頃から、人々に身に付いている処世術のようなもので、それが学校時代は苛めという形で少数者を傷つけ、社会では差別や偏見を醸成してきた。多数に所属していればいざ問題が起きて、追及された時も「僕じゃない、私じゃない」と言い逃れしやすい。(だから、未だに日本では、戦争責任を誰が負うのかが謎のままであるばかりでなく、本来責任を問われるはずの戦犯といわれる人たちが、政権に返り咲いたりした。)現代の社会もほぼこの論理によって実体としては成り立っていると見て良いだろう。「尻馬に乗る」という嫌な言葉があるが、誰か強い立場の者が弱い立場の者を攻撃している時に、強い者の背後から嵩にかかって追い打ちをかける類のケチな人間のことである。ところが、尻馬に乗っているつもりのケチな人間たちは、自分の明日が見えていない。尻馬に乗っているつもりの彼らを強い立場の者は考慮に入れていない。明日攻撃され、行き場を失うのは、奴らなのだ。なぜなら、一部の強者、(この場合は財閥や経団連と言えばわかりやすいかもしれない)は自分たちの利潤の追求のために都合の良いシステムを作り上げて、(自民党を中心政権につけて)そこに「世間」という御用マスコミ(新聞・テレビ・ラジオ・インターネット)を介在させ、宣伝して、それが大多数の「正義」であると大風呂敷を広げているからである。尻馬乗り達にはその実体が見えていない。少数の選ばれた経済的強者は、多数の経済的弱者から吸い上げることによって成り立っているのが資本主義経済であることを知っているので、多数の弱者の一人に過ぎない尻馬のり達からも吸い上げているのである。
 

雑感8

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月15日(金)07時29分39秒
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  いったい人は他者に評価されるために存在しているのだろうか。確かに、会社に行けば人事評価があり、学校に行けば成績評価がある。人は幼いときから、この評価と共に生かされてきた。だから、評価を気にして生きることが身についてしまっている。しかし、他人の評価が自分の実質に届いているかといえば、そうではないと考える人は多いのではないだろうか。評価は、ある目的で、その人をその目的に添った側面で判断し、他者と比較することによって成り立つ。だから、ある面では特に目立たなかった人が、別の面では際だっていると言うことも出てくるし、それは当然のことなのである。しかし、その基準はどこからやってくるかといえば、それは、その組織の生産性であったり、将来性であったり、社会適合性であったりと様々だ。しかし、そこには予想もできない未知の基準というものは当然のことながら入ってこない。
 世の中が変化する時には価値基準が変わる。それまでの価値基準ではうまくやっていけなくなったとき世の中が変わると言ってもよい。そんな時の基準は、それまでになかった基準なので、まず周囲は理解を示さない。いわゆるマイノリティーの論理であるからである。俗物はその変化の流れを止める。しかし、時間は止まらずに進み続ける。マイノリティーの論理は次第にマジョリティーに取って代わる。そうしてコペルニクスやアインシュタインが生まれた。そうなのだ。常に世界は多様な基準をランダムに用意している。その多様性をそれぞれの視点から冷静に判断し、取捨選択していく中に、発展が生まれるのだ。だから、その多様性の一つのパターンと考えれば俗物の存在も不必要ではない。ただ、変革の後にも俗物は視点を変えて、また多数派の中に紛れ込むのである。柔軟性があって逞しいといえば言えないこともないが、節操がない。しかも自分でもそれが分かっていない場合が多い。戦前に熱く国粋主義を説いていた教師が、戦後真剣に民主主義を語る類である。俗物はその変わり身に罪を感じない、というより、自分がそんな風に変わってしまったことにすら気づいていない。なぜなら、彼の基準は「世間」だからである。
 

雑感7

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月14日(木)07時31分22秒
返信・引用 編集済
   俗物といわれる種類の人たちがいる。僕も充分俗物なのには違いないが、その人達の判断や発言の基準は全て世間が物差しとなる。何か行動を起こすときに世間がうるさいからといって、表だって人に非難されそうなことには参加しない。目立った行動はしない。価値基準が世間体でできているから、波風を立てることが嫌いである。面倒だからという気持ちは勿論僕にもある。しかし、面倒ではすまされないことだって世の中にはあるし、間違ったことが横行すれば、「王様は裸だ」と表現することだって必要な時はある。俗物はそれをしない。面倒だからではなく、「世間」の価値基準に合っていないからである。では、「世間」とは何かといえば、実はその実体はない。大多数の人々が何かの力で動かされているとき、その方向を守り、絶えず多数派の優越感を感じ、安全を選び、時にはマイノリティーを蔑むことに快感を感じる感性の持ち主が俗物である。特に最近は、一旦弱いと判断すると、そこにねらい打ちのように非難を集中させて、普段から蓄積させてきたストレスの溜飲を下げようとする不寛容者達だ。しかもそう言った俗物性が自分のストレスを増加させていることにすら気づいていない。つまり、大きな通りで、大多数の人が同じ方角に向いて歩いているようなときに、自分の行き先は異なると人の列をかき分ける者を排除しようとする人たちである。また、俗物達は常に自分の評価を気にしている。実体がない自分に形をもたせようと言うわけだ。彼等はイソギンチャクや藻くずで自分の殻を大きく見せるヤドカリに似ている。権威や権力、名誉といった「その場しのぎの」価値観にはすこぶる反応が早く、そう言ったものの「威光」を自分の実体を飾るための後ろ盾にさりげなく利用する。  

雑感6

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月12日(火)07時03分49秒
返信・引用 編集済
  以前は道がよく分からず、サンマルクの前から入って、坂道を二つ越えなければならなかったが、最近近道を見つけて、一つだけ坂を越えればよいことも分かった。開門と同時に館に入って、まず朝日新聞と東京新聞を読む。そして、午前中の執筆。(それまでは、午前四時に起きて、まず執筆というように、自分を追い込むようにして書いていたが、がつがつする必要もなくなった今は、五時起きで鵠沼の畑作業をすることからはじまる。)昼食を挟んで午後からの読書。それがほぼ毎日続く。今までは休日は家でまったりとしていたのが、土曜日までも図書館に来ている。ここで、自分の書きかけた小説や新たに構想した小説を書き上げていく時間は実に楽しい。思うようにはいかない苦しさは当然あるが、そんな苦しみも楽しさの一つにあげられる。そして、読書をじっくりする時間に、やっと自分にもこんな安らかな時間が訪れたのだなと実感する。そして、三時になったら帰る。家に着いたら、干してあった洗濯物を入れ、タオルを畳んでおく。そして、風呂に入って一日の汗を流す。日が明るいうちの風呂というのもなかなかいいものだとこのころ漸く分かってきた。六時過ぎ女房が帰宅し食事。息子はこの頃遅くなることが多くなり、九時頃食事。帰ってからは読書はしても執筆をすることはまず無い。そして、一日おきに缶ビール一本、(あるいはワインか焼酎かウイスキー)の贅沢をする。テレビを見ることもあるし、録画しておいたコズミックフロントやニュースで英会話、百分で名著を見るかして、就寝。そんな毎日である。その間に月2回のバンド練習が入ったり、月に一度の辻堂図書館での宮原先生の小説教室、渋谷の弁護士事務所での霧海先生の俳句教室、週に一度はトレーニングルームで筋トレ、隔週で三つ属しているテニス、約10キロの川沿い、あるいは皇居のランニングなどが入る。なかなか充実しているが、働いていた頃のような日々追い立てられるような切迫感のない日々である。こんな平和な日々が続いてくれればよいと願う。  

雑感5

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月11日(月)13時01分19秒
返信・引用
  これまでの生活を整理すると、東京に勤める息子が一番早く、七時に家を出る。次に女房が八時になってひよっこの主題歌の桑田佳祐の声が聞こえると慌てて出ていく。残された僕は、ひよっこを見てから、女房の作ってくれた弁当を持って、図書館に向かう。(時々、時間が無くて干し残された洗濯物を干す作業を頼まれることがある。)図書館も辻堂館は勉強スペースが狭く、パソコン用の電源もない。受験生達も多く、彼ら将来のある若者と席の競争するには忍びないので、辻堂館は×。湘南台総合図書館は施設も蔵書も多く、資料室に席も確保でき、受験生との席も分けてあるので、長居するには最適だが、家から遠く自転車で二十五分もかかる。坂も多い。ということで、一番相応しいのは、大庭市民図書館ということになった。ここの蔵書は多く、環境もとても良い。パソコン室が整っているのも魅力だ。パソコン室は、窓側から図書館の裏庭が見渡せる。樹木の涼しげな木陰の向こうにはゲートボール場があり、老若男女がゲートボールを楽しんでいるのを見ることができる。一仕事して疲れた時の気分転換にも打ってつけのロケーションだった。そして、大庭館の魅力は図書館の司書さんの丁寧な対応にもある。四月に出版した僕の著書と以前オンデマンドで出した著書、母の俳句の本も快く図書館の市民文庫に入れてくれただけではなく、一般蔵書コーナーにも本を置いてくれた。そんなわけで、僕は八時四十五分になると自転車に乗って大庭館に向かう。行く途中の川沿いの道には田圃に挟まれた所があって、稲の成長を感じながら夏の朝の時間にここを通るのは楽しみだった。燕が成長した稲の上を飛んでいく。田圃の脇には用水を取り入れるための溝があって、そこには小さな鮒やクチボソなどの小魚が、僕の自転車の陰に反応して、素早く動くのを見るのも楽しかった。  

雑感4

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月10日(日)09時59分43秒
返信・引用
  僕の場合は、小説を書くことには全く金はかからないし、読書だってまず読み残した本を読んでいるわけだから、当然金はかからない。もし必要なら、図書館で借りれば、やはり金はかからないのだ。
 今日は気分が向かないからと、一日寝ていてもいいし、ぶらぶらと近所を一日散歩するのもいいだろう。天気の良い日に、自分の家の庭でぼんやり青空を見ながら一日を過ごすなんて素敵ではないか。この頃、家で酒を飲むことも少なくなってきた。体脂肪が気になるこの頃は、アルコールを苦しみもなく控えられるようになったことは、よい傾向である。
 趣味の音楽にしても、月に二回程度の平日午前中三時間練習でスタジオを借りても、それほどかからないし、その後、仲間と食事やお茶をしても、安い店を探せば、今はいくらでもある。そのほかの趣味としては、市民農園で農作物を作っているが、年間12000円の農園使用料の他、苗を買うのにそれ相応の金がかかったものの、(トマトの苗ひとつ150円くらい)これからはそれを収穫する楽しみがある。野菜だって買わなければ、金はかからない。釣りに行くのも、湖なら釣り券1300円とえさ代500円とガソリン代くらいのものだ。週末に行くことにしているトレーニングルームも高齢者は240円で済む。
 

雑感3

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月 9日(土)21時53分19秒
返信・引用
  預貯金を切り崩して生活しているのだから、家族にだって迷惑をかけているわけでは決してない。だから、多くの人が僕に言う、どうして働かないのという疑問は、僕から考えると、どうしてそこまでして働く必要があるのと言う質問になる。要するに人に迷惑をかけず、ささやかな自分の趣味をおとなしく実行しているだけなのだからそっとしておいてほしいのだ。僕には僕の残りの人生の過ごし方を決める権利はある。好きな小説を書いて、読書をして生きていきたいと言っているのだから、そっとしておいてほしい。あなたたちに迷惑をかけることはないのだからと。
 無職の生活は楽しい。やらなければならないからと言う義務がないし、お金をもらっているからと言う負い目もなく、時間はすべて自分の意のままになる。明日仕事があるからといって、諦めていた沢山のことが全てできるのである。ただし、お金のかからないことに限られるのだが。だから、お金がかかることが好きな人は定年退職しても仕事を辞めない方がいいだろう。
 

雑感2

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月 8日(金)06時57分24秒
返信・引用
  そのほかにも、俳句や音楽などの趣味、旅行など、やりたいことは盛り沢山だ。しかし、それらのやりたいことがお金を生むことはまずない。定年を過ぎても働く人たちは、年金が出るまではなんとか食いつながなければならないという考えの人が多いと思う。では、年金が出たらどうするかといえば、身体が動く限り仕事をする人が多いのではないだろうか。年金だけで暮らしていくことができないからである。完全に年金生活をしている僕の友人などは、一年に百万円くらいは不足すると言っていた。働く職場があるうちにと考えた上で、健康上のこともあるだろうし、惚け防止のためだという考えもあるだろう。だが、それはそれで僕も否定はしない。働くことが好きなら、働けばよいだろう。僕の場合は、たまたま、その好きなことの中にお金を稼ぐことができないことを選んでしまっただけのことなのだ。だから、正確に言えば、働きたくないのではなく、教員を続けたくない、金の絡んだ仕事をしたくないということである。ただ、一つ言っておきたいのは、大多数の人の選択をすることはたやすく、そうでないことを選ぶのは難しいと言うことだ。つまり、大多数が選択をしている再任用や講師の職にある人たちから、何故おまえは働かないのだと言われると、まるで自分が怠け者のレッテルを貼られたような気になることだ。マジョリティーに属する人たちが、マイノリティーに属する人たちを非難することを世の中では苛めという。苛めは犯罪だ。定年退職して働かないことは、社会に迷惑をかけているわけでも、他の人たちに迷惑をかけているわけでもない。収入がないということで、同居する家族は少しでも収入がある方が安心だろうが、それは家庭内のプライベートな問題でしかない。  

雑感1

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月 6日(水)07時32分57秒
返信・引用
   37年間の勤めを終えて、四月から完全無職になった。無職というのは、働く必要がないということだが、無収入であることと同義でもある。殆どの人は、教員の場合は再任用フルタイムや講師、会社員の場合は身分を変えて給料が60%位に減額されて会社に残るなど、社会と接点を持つ選択をしているのに反して、僕がその選択をしなかったことに多くの人は、「どうしてやらないんですか?」と不思議そうに疑問を投げかけてくる。僕はこの三十七年間、この仕事をすることが嫌で嫌で仕方がなかった。でも、家族や子どものために仕方なくそこには目をつぶって働いていたというわけだ。子どもが一昨年、就職して親の保護が必要なくなった時点で、辞めようと思えば辞められたのだが、一応六十という区切りまではと思って生きてきた。そしたら、人々はその後までも、どうしてやらないんですかと言いがかりをつけてくる。三年前までは国の年金は六十歳定年で、基礎部分と二階建て部分が出ていた。だから、働く必要はなかったのだ。それが、僕の年代の頃から、少子高齢化の影響で、予算が足らなくなり、段階的に先延ばしされてきたわけだ。僕の場合は六十二歳の誕生日から、基礎部分が支払われることになる。だから、約二年間僕は全く無収入で暮らしていかなければならない。
 何故再任用をやらないのか、何故講師をやらないのかと言われれば、やりたくないからだの一言に尽きる。それよりも僕にはやりたいことがたくさんあるからだ。まず僕は、今までたくさん書き貯めていた小説を死ぬまでにはすべて完成させたいと思っている。そして、読書。途中で放り出してしまった長編小説をじっくり腰を据えて読むことができるのは、何より楽しい。後何年かは知らないが、残されたわずかな年月の中で、この二つのことをきっちりやるためには、仕事をしている時間はないというのが僕の率直な考えである。
 

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