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コートニー入口グスク

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 7月 6日(土)11時21分52秒
返信・引用 編集済
  管理人さんご紹介の「キャンプコートニー入口グスク(仮)」に行ってきました。

 子供の頃、よくバスで通り過ぎた場所ですが、地形が若干変わってますね。
 しかし、島で生まれ育った者の直感?では、グスクの雰囲気を感じます。
 古書店などで、旧具志川市教育委員会の文献を探してみます。

写真は、首里グスクの真の中心「首里森御嶽(キヤウノ内ノ前ノ御ミヤ首里ノ御イベ)」・那覇市
 
 

フェンス内グスク

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 7月 1日(月)09時59分16秒
返信・引用 編集済
  管理人さん

 おっしゃるように那覇空港などフェンス内のグスク散策は難しいですね。
 米軍基地内にも多くのグスクがありますから、教育委員会以外は不可でしょう。

 ところで昨日は夏の甲子園沖縄県予選で母校の応援に出かけました。
 会場は北谷球場。。。試合も気になりましたが、目の前の「北谷グスク」の立地が手にとるように分かりましたよ。
 このグスクも基地内なので入域はできませんが、「瑞慶覧グスク・中城グスク・嘉数グスク・喜友名グスク・浦添グスク etc 」、さらには「座喜味グスク・屋良グスク」などが目視でき、通信施設?としても好地にあるように感じましたね。

 このグスクは古く海岸線の絶壁だったようで、那覇の「花グスク(波の上宮)」のように、グスク時代初期の要塞だったかもしれません。

写真は、終戦直後に米陸軍によって破壊された「屋良座森グスク」跡地(画像中心あたり)・那覇市
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月26日(水)21時10分17秒
返信・引用
  以外に2個1的グスクはありますからねぇ。
なくはないでしょう。
那覇港周辺のグスクは三重グスク以外に形を留めているもの
進入できるものが少なくて大変残念であります。
空港敷地内にも2つありますが、入れませんしね。
 

北谷グスク&池グスク

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 6月24日(月)11時45分0秒
返信・引用 編集済
  管理人さん、どうもどうも。

 ここならすぐにわかりますね。やっぱりグスクっぽい雰囲気がしますよ。
 もしかすると、北谷グスクと終戦直後まで存在していた「池グスク」との関係と同じかも?
 " 2個1グスク説" (笑)なんて解釈もできるでしょうかね。

写真は、米陸軍軍港側(屋良座森グスク跡)から臨む「三重グスク」・那覇市
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月22日(土)21時42分25秒
返信・引用
  ちらほらチヂとかついたグスクがありますよね。
それがツヅ・ツチとかなったんですかね。

場所はここになりますね。
http://www.mapion.co.jp/m/26.38179270689219_127.86329550030374_9/
沖縄県地図情報システムで確認してもいいと思います。
http://gis.pref.okinawa.jp/pref-okinawa/top/select.asp?dtp=6

写真は他に何枚か撮影してたはずなんですが、手持ちですぐに見つかったのをアップします。
ただ、やっぱり天願城跡(と言われているもの)の方がやっぱり如何にもグスクっぽいんですけどねぇ。
 

頂グスク

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 6月21日(金)10時10分11秒
返信・引用 編集済
  管理人さん

 『沖縄古語大辞典(角川書店)1995 』には以下のように出ています。
*** 「つぢ」/頂き・頂上。山や丘の頂。坂の上。家のてっぺんなど、高い部分にもいう。この語は瀬戸内海海域にも残っている。(略)
*** 「つちぐすく」/拝所名。具志川市江洲にあるグスク。『琉球国由来記』には「土城嶽」とあり、神名は「コバノ御イベ」である。「つぢ」は「頂」であろう。(略)

 管理人さんご指摘のように「頂」でOKだと思いますが、平地の拝所の神名にもこの語がありますから、古くからすでに美称と化しているようで、そのうちに「土」の意味が付加されたのでしょう。
 そう言えば「玉城グスク」内の拝所名は「テンツギ アマツギ」となってますね。

 それと『沖縄古語大辞典』に「この語は瀬戸内海海域にも残っている」とあるのは興味深く、グスクの起源を明かすのに有効な情報かもしれません。。。伊予水軍などの南走はあるうるかも。
 それからそれから、キャンプコートニー入口とされるグスク?の地図とかあるでしょうか。現地に行ってみたいと思います。

写真は、「宇江城グスク」遠景と頂上の遠見台・久米島
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月20日(木)22時06分10秒
返信・引用
  今改めて「ぐすく」と「歴史散歩ぐしかわ」を見直してみましたが
この2冊を見る限り、キャンプコートニー入口にある方がグスクだという結論になります。
多分天願にあるグスクらしさを備えた施設(主として石垣があり、高台にあるという理由)
をグスク=城跡(しろあと)という固定観念から後付で天願城(グスク)と名付けたんじゃないかなぁと。
しかし、実は天願には元来グスクと呼ばれていたものがあり、それがキャンプコートニー入口にあるものではないかと。
確かに、勘違い説ですかね?

ちなみに、「歴史散歩ぐしかわ」を見ると、天願土城と書いてあります。
ただ、グスク=墓と考えると私が主張する天願グスクはあまりグスクらしさはないのが何とも・・・

余談として、土グスクと呼ばれるグスクがちらほらありますが
元々は頂を意味するチヂとかが語源なんでしょうかねぇ?
 

天願グスク

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 6月19日(水)09時25分55秒
返信・引用
  管理人さん

 これは初耳です。このグスクが「天願グスク」だと多くの資料など研究者の定説になっていますね。
 しかし、これは一考していいかもしれません。
 うるま市から沖縄市にかける一帯には、いかにもグスクと思わせる地形が点在しているんですが、どう見てみグスクではないものが多いですね。
 いわゆる「天願グスク」は、立地からするとグスクに相応しい場所にありますが、たんに天願にあるからそう呼ばれているかもしれないわけで、発掘調査も進んでいないようです。
 別称「ツチグスク(土城?)」は、中部病院近くの「江州グスク」など、城壁のない古いタイプの。。。つまりはまだ「グスク」と呼ばれていなかった時代の聖域なのかも?

 管理人さんの提言?は "グスク引っ越し説" とも呼んでいいでしょうか。
 本体が移動して名称が変わることもあるかもしれませんし、キャンプコートニー内の聖地がもともとのグスクだった可能性はあるかもしれません。
 そうなると "グスク勘違い説"(笑)ってことも考慮する必要があるでしょうか。

写真は、天願グスクと立地条件が共通する「具志川グスク」・うるま市
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月17日(月)22時54分56秒
返信・引用
  返事が遅れました。
まだまだこちらは梅雨時です。

ちょうど、天願グスクの話題を載せてもらえるとはありがたいです。
天願グスクについては私のグスクリストを既に見ているかもしれませんが
実は下記写真はグスクではないのではないかと疑念を持っています。

「ぐすく」の説明書きや沖縄県地図情報システムからは
天願グスクはキャンプコートニー入口にあるのではないかという疑念です。
もっとも、上記システムは二次情報ですし、「ぐすく」を参考にしている可能性があるので
「ぐすく」の説明が間違えているから、上記システムも間違えている可能性はありますが。

教育委員会等に聞くのが早いとは思いますが、琉球松さんはいかが思うでしょう?
 

(無題)

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 6月14日(金)13時30分53秒
返信・引用 編集済
  管理人さん、ありがとうございます。

 沖縄は梅雨が明け、本格的な夏となりますが、むしろ本土のほうが暑いようですね。
 グスク内の涼しさは心休まる心療内科のようですよ(笑)。

写真は、米海兵隊キャンプコートニー内の「天願グスク」遠景・うるま市
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月 6日(木)22時25分38秒
返信・引用
  伝わった順番からすると、最初は奄美北部かも知れませんね。
旧笠利町や喜界町のグスク数もかなり多いですし。
喜界町城にある遺跡群は太宰府の出張所と言われているように
歴史の古さを感じさせますしね。

現在の視点では、石垣の仕切りの有無は重要ではないと思います。
土で出来たグスクありますし。
ただ、語源という観点では必要かもとは思っています。
まだまだ奥が深いです。

嘉陽ウィグスクは訪れたら頂上部分の草が刈られていなくて
何が何だか分からん状態でしたねぇ・・・。
 

知念グスク

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 6月 3日(月)09時58分28秒
返信・引用
  管理人さん、どうもです。

 「知念グスク」はまだまだ発掘調査中なんですが、外観はほぼ復元されたようですよ。
 琉球の正史でも『おもろさうし』でも、このグスクはアマミキヨが最初に造ったとされていますから、聖域から城塞化に至る過程を解明するのにも重要ですね。
 しかしどうでしょうか、本来は奄美大島北部や喜界島が最初じゃないでしょうかね?
 石垣での "仕切り" の有無はあまり重要ではないのではと思うんですよ。

写真は、「嘉陽ウイグスク」・沖縄島北部
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 5月31日(金)23時24分30秒
返信・引用
  グスクの音や語源についてはまだ確たる意見はありませんねぇ。

沖縄本島ではグスクかグシクと呼び
奄美ではグスク・グシク・ゴシク・ゴスコ・ウスクなどと呼んでいますが
奄美の方が元の言葉の発音を留めていることが多いことから考えると
最初はゴスクとかいった呼び名だったのかなぁと思わなくもない。

ただ、そうだとすると、ゴスコ→ゴスク・グスクは音韻変化として分かるが
ゴスク→ゴソコと変化するかという疑問もあります。

また、古老の発音を聞くとグシクが正しいという意見もあり
音韻変化を追うのは素人の私には難しいですね。

取り敢えず、南西諸島の地名のほとんどは音に当て字をしただけと思ってるので
具足から甲冑などの意味はないんじゃないかと考えています。
少なくとも鎌倉時代よりもっと古い奈良時代以前の言葉じゃないかなぁと。

アマミキヨに関しては奈良時代以前に九州から南下した人達ではないかと考えています。
その人達が当時の日本語を伝えたのかなと。
では、それ以前は日本語を喋っていなかったのかと言えば、分かりませんが。

ちなみに、グスクの中でもアマグスクと呼ばれる場所が一番興味深いです。
トカラにもあり、大体見晴らしの良い山などに付いている名前なので
アマミキヨと関係あるのかなと。

知念グスクは私が沖縄にいた頃はいつも復旧工事(?)をやっていたイメージですな。
もう終わったんだろうか。
 

グスク葬地説

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 5月31日(金)09時42分43秒
返信・引用 編集済
   管理人さんへ

 妥当な解釈だと思いますね。
 故仲松弥秀先生のグスク性格別分類では「御嶽206・墓地50・単独墓17・城9・按司の館5・その他2・不詳68 」となっていますし、御嶽そのものも墓地の性格が濃厚ですね。

 ところで、グスクには「城」の字が当てられるんですが、古地図には「具足(グソク)」とありますね。
 この「具足」がたんに当て字ではなく意味を表すとすれば、「甲冑や鎧・兜の別称」など軍事施設として鎌倉時代に持ち込まれた名称とも考えられますが、管理人さんの意見はどうでしょうか。
 これは言語学的に「琉球方言の3母音化」とも合致するわけで。。。グソク(ソはスに転化)を語源とする可能性も捨てがたいと考えます。
 つまりは、墓地聖域だったエリヤを、本土で排除された集団(伊予水軍など)が南下して要塞化したのではないかと。。。"奄美人が太宰府を襲撃" した頃と、いわゆる「グスク時代」の始まりがほぼ一致するのも偶然ではないかもしれません?

写真は、アマミキヨが最初に造営したとされる「知念グスク」
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 5月28日(火)22時10分17秒
返信・引用
  それがタカラグスクですか。
場所は大体分かってたのですが、自信がなかったので、紹介していただきありがとうございます。

グスクについては、南西諸島グスクリストにも少し書いてますが元々は墓を意味すると考えます。
グスクがどうして墓を意味するんだという語源の問題は一先ず置いておきますが。
そして、偉人ではなく、集落の祖先など普通の人々であったと思います。
それが、いつしか意味が変容していって、時には墓という意味を忘れられたのでは?とも考えています。
なかなか難しいところです。

 

タカラグスク

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 5月27日(月)23時59分22秒
返信・引用 編集済
   「タカラグスク」は、玉城王墓そのものですね。偶然?にも「玉城グスク」と「垣花グスク」とを結ぶ線上にあって、ほぼ等距離の位置にあります。
 その線上を、巻貝の形の日輪が通過するのでしょう。

 グスクには墓の要素があるとする説は説得力があるんですが、管理人さんのお考えはどうでしょうか?
 まず最初に偉人などの墓があって、後に聖地化し、さらに要塞化していったとも考えられますね。

 なかなか断定できるものではないのですが、原初は太陽の観測施設であった聖地に、聖者?を葬った可能性もあるでしょうか。伊勢神宮~淡路島~出雲大社。。。本土側との共通性も無視できないところです。

写真は、玉城グスクから見える「タカラグスク」、右遠方は久高島。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 5月27日(月)20時24分30秒
返信・引用
  内地の主要な神社も太陽の方向と関係があるのが多いみたいです。
確か下記写真の撮影場所から見て右奥(だっけか?にタカラグスクがあるらしいですよ。
 

Re:玉グスク

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 5月26日(日)18時48分42秒
返信・引用 編集済
   玉城グスクの冬至の太陽光は城門を貫き「玉城王」の墓を照らし、「垣花グスク」に向かいますね。

 こういうグスクと太陽の関係は、奄美でも同じだと推測できますから、楽しくてしかたがありません。

写真は、玉城王墓方向に進む太陽光(パトカー前方)・尾行されているわけではありません(笑)。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 5月26日(日)17時30分54秒
返信・引用
  初めまして。
念頭平松から採った名前でしょうかね?
伊是名にも沖永良部にもグスクはたくさんありますので是非ご参照を。
沖永良部は文献が少ないため、若干自信がないのですが・・・

玉グスクの入口に太陽が通り過ぎるのを待って撮ったのですね。
 

グスク考

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 5月23日(木)11時46分19秒
返信・引用 編集済
  初めまして、沖縄島の者です。

 「グスク」を検索していてやって来ました。
 当方、父方は伊是名(祖母は沖永良部)で、母方はうるま市です。

 時々お邪魔させて下さい。。。ひとまずはごあいさつという事で。

写真は、瀕死の太陽を再生?する「玉城グスク」・沖縄島南部(2010年冬至)
 

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