teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 8月28日(水)21時15分19秒
返信・引用
  しばらく夏休みを取り、沖永良部島・徳之島・十島村平島など行ってきた。
ガイドしていただいたイサム様には感謝です。
1年ぐらい放置していたホームページもそろそろ更新再開できるかなぁ。
昨年4月からいろいろ忙しく、今月を以て人生が落ち着いたといえる。

宜野座村編があと少しのところまで来ていたのだが
先に奄美探訪を踏まえた上でグスクリストの更新をしないと。
9月の休日などに頑張って作りましょう。

それはそうと、この場を借りて、この掲示板経由で
私にメールをしてくださった方がいましたが、コメント拝見しました。
今後も奄美のグスクを更新しますので、是非参考にしていただければ。
 
 

なんと、、

 投稿者:イサム  投稿日:2013年 8月 2日(金)10時12分49秒
返信・引用
  8月12日~15日とは、航空運賃の高い時期ですね。
この期間私は仕事で半分拘束状態です。
たぶん12日は未だ余裕があるかもしれません。

徳之島での散策は簡単には進みません、地元の人が知らない、、
私も何時も場所探して苦労しています。

伊仙町と天城町に学芸員の方がいますが、有名何処のグスクは知ってるけど、
地名とかなるとたぶんアウトです。
学芸員の二人とも沖縄出身です。天城町の方は今帰仁城にいた方です。


メール書いておきますので、連絡下さい。sisamu@smile.ocn.ne.jp

琉球松さん、徳之島も昔は確かに旧暦でした、あるユタのおばさんが
お盆になっても誰も墓に行かないので、霊が迷ってると嘆いていました。

http://www.amami-jc.com/

 

(無題)

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 7月30日(火)00時14分42秒
返信・引用 編集済
   管理人さんも、そう若くない(失礼)でしょうから、今帰仁のクボー御嶽へのアタックは大変だったでしょうね(笑)。
 地名の「デク・デーク」は、ここではさほど重要な話題でもなさそうですから、奄美市大熊の情報に遭遇しましたなら書き込むことにします。
 それと、琉球圏のお盆は圧倒的に旧暦(今年は8月19~21日)ですから、イサムさんの集落も旧暦の可能性がありますよ~。

以下は、金武グスク近くで伝承されていた神歌『イトマフシ』ですが、金武湾さんのお役に立つでしょうか。
*** むかしはじまりから(昔始まりから)  けさしはじまりから(世の始まりから)
    しまのなおさ とりがやどよいまぇる(シマの直さを取りにこそ参られた)
    いぢゃせ いぢゃせ(いざ出せ、いざ出せ)
    くにのなおさ とりがといまぇる(クニの直さを取りにこそ参られた)
    いぢゃせ いぢゃせ(いざ出せ、いざ出せ)
    おもろよんあて(未詳)
    いぢゃせ いぢゃせ(いざ出せ、いざ出せ)
    よもろよ(未詳) そんぼなべら(未詳)
    まうぢよ(未詳)
    いぢゃせ いぢゃせ(いざ出せ、いざ出せ) ***
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月29日(月)22時49分50秒
返信・引用
  ちょっと見ていない隙に大量の投稿が!
あまりにも大量なので、個別の話題にコメントできませんが
全部ありがたく読ませていただきました。

ただ、何点か。

金武湾さん

金武湾さんの師匠が誰かは分かりませんが、恐らく面識はないと思います。
大学・大学院を通して私の専攻は法律でしたので・・・。
もっとも、いろんな博物館や公民館で様々な話を聞かせてもらっているので
会ったことないとは断言できませんが。

それと、グスクの定義については、人によってあまりにバラバラですが
私としては特に話をする上で支障を来しているとは思っていませんので
そこは放置させてもらっています。

琉球松さん

大工廻の語源はさておき、確か奄美市大熊や佐大熊の話だったと思います。
どの文献に書いてあったかぱっと思い出せないですが。
金武湾さんが言うとおり地名には候補となる語源が幾つもあって難しいものです。

あと、まだまだ方言は詳しくないのですが
久高島の方言が奄美に似ていることは私も興味があるところです。

今帰仁のクボー御嶽は実は訪れたことがあります。
某館長に苦言を呈されましたが(汗)

イサムさん

トレジャーアイランドの管理人さんが訪れてくださるとは光栄です!

徳之島は8月12日~15日の間に滞在しております。
徳之島のグスクは全然詳しくないので、お話を聞けたら大変嬉しいです。
ただ、忙しいであろうお盆時期ですが・・・。
 

首里中心史観

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 7月29日(月)10時22分38秒
返信・引用 編集済
  金武湾さんへ

 おっしゃりたいことはよくわかりますね。薩摩のおかげで "平和国家" となったとの皮肉な解釈も可能かと。
 とかく琉球王朝とか『おもろさうし』とか、世界遺産だとか、これらは表面的なものですよ。
 近年の考古学では、喜界島や笠利あたりに注目が集まっていますが、琉球文化?の発祥は奄美北部~徳之島あたりをターゲットにしたほうがいいんじゃないかと。。。宇堅貝塚と会下山遺跡(兵庫県芦屋市)との関係も面白いですよ。
 いわゆる「グスク時代」を定義づけるものに、徳之島の「カムイ焼土器」がありますが、沖縄県立埋蔵文化財センター所蔵の徳之島産土器を見ると、当時としてはとても沖縄島が追いつけないほどの完成度がありますよね。
 それと、金武湾さんご紹介の方は存じておりませんが、"金武湾王国説" のような発想は興味深いです。
 沖縄島東海岸は、伝統的に奄美との関係が深いとされている地域ですよね。久高島の8月の祭祀は「ハティグァティ」に近い発音で、これはもうほとんど奄美方言そのもののように思えます。
 奄美の名瀬、沖縄の首里&那覇、宮古の平良、八重山の四箇村など、これらを中心とする史観はもう卒業したほうがいいですよね。


管理人さんへ

 たぶん、沖縄市の地名「大工廻(ダクジャク)」のことだと思いますが。。。その語源が「ダンチク」で竹に由来するのではとの説でしょうか? しかしそこには琉球竹があるわけでもないですね。


イサムさんへ

 いろんな解釈、発想はシマによって違いますから面白いですよ。
 管理人さんの見方からも、島ん人には思いもよらない発見があったりで楽しいです。

写真は、今帰仁グスクから望む「クバの御嶽」全景
 

そういえば

 投稿者:金武湾  投稿日:2013年 7月28日(日)13時48分8秒
返信・引用
  実はこれまでの言説は数年前に知り合った内地からの移住者の方からの
受け売りが多々あり、かつ、それを自分の親族、地縁関係で確かめて、
自ら確認していったら、ほとんど齟齬がないということが確認でき、
できれば、ちゃんと話をしたいと準備をしていたところ、天願グスクと
いったニッチな名称が出てきたのでお話したまでです。

そのお話をしてくれる方とは月に二回ほど、
沖縄中北部の「大事な場所」の確認をしてきました。

その方は内地や奄美大島、徳之島などの奄美群島や世界の「そういう場所」についても
いろいろ話をしてくれるのですが、ここ数年大病を患い、
右耳と右目が不自由になっていますが、未だに探索に行くというと
身体を動かしてくれます。

沖縄は沖縄だけ見ていてもダメというかそれだけでは単なるバカなんだなぁ
ということを論理的に話をしてくれる方です。

何もしらない私にとって目から鱗だったのはその方が言った琉球王朝は軍事王朝だった
という言説です。八重山や奄美群島を軍事によって征服していったと。
現代に続く平和国家琉球の常識のあやうさを知りました。

そして金武湾には琉球史大好き人たちが知らない文化圏(王国)が
グスク時代もしくはそれ以前の後貝塚時代にあったのではないか
という話と数々の考古学的例証(もちろん大学や沖縄マスコミで対象にはなりません)。
発掘報告書の読み方。いろいろ教わりました。

もしかしたらが、私の師匠筋のその方は
琉球松さんやイサムさんのお知り合いでしょうか?
 

(;O;)

 投稿者:金武湾  投稿日:2013年 7月28日(日)12時50分31秒
返信・引用
  正直いって霊化森の名称はどーでもよくて、
そこに天願小学校があったというあたりに反応してほしかったですけれど、
やっぱりここ何十年も繰り返してきた通り普通の歴史好きの沖縄の人
には無理なのだなぁと身に染みました。あと10年秘隠します。

悲しいですね。

沖縄の現実ですから甘んじて。

それと「グスク」という三文字の定義をなんにせよ話者の間で
定義しなければ、本来のグスク、といった言説も単なる自己撞着
に陥るかと思います。

私の見解では「グスク」というのはその地域民にとって「大事なところ」です。
なので城でも石でも滝でも家でも木でもなんでもいいのです。
逆に言えばいわゆる聖地やウガンジョもグスク要件を満たしていていれば
名称にそれがないということだけで「グスク」なのです。
それが大きくなれば内地的な「しろ(城)」にもなるね、と。
と、いうか内地の城ももともとはそういう場所に造られている
場合が多いわけですけれど、と思いますが、話を聞いたことがありません。

もちろん他の見解もあるかと思います。

ただ、私の場合。グスク=内地における「城」(しろ)、という観点はありません。


 

金武湾というハンドル

 投稿者:金武湾  投稿日:2013年 7月28日(日)12時20分59秒
返信・引用
  私は昔から首里や浦添が今みたいな話ではなかったころから、
つまり、尚氏第一王朝以前の沖縄についての話は個人的にはフラーが
と思いますが、いわゆるグスク時代、学問的にもっといえば
「後貝塚時代」(この名称でさえ差別的だと思いますが、
琉球王朝辛抱者は何もいいません)までにかけて金武湾には
王国と言っていい文化圏があったと考えているものです。

おそらく北部現在の東村あたりにも痕跡はあるのですが
(なぜ沖縄の歴史好きの間でも話題にならないかといえば
中華ビイキとアメリカ抹殺です)、現在はナイということに
なっています。

そういった憤りのもとのハンドルネームであることも
ご承知おきください。

金武湾に王国があった。それが私の基本です。
 

加えて

 投稿者:金武湾  投稿日:2013年 7月28日(日)12時13分3秒
返信・引用
  個人的な興味なんですが、天願グスクから石川方面の県道沿いに
天願断層というものが走っていて、この断層は
東海岸の楚辺あたりまで続いています。

そしてなぜか今は暗渠らしいですが楚辺方面に「天願川」があります。
おまけに米軍がパイプラインを作ってつながっています。
断層と名称。名称だけでなく科学的事実があると話は変わります。

過去も現代もそういう場所だったんだろうなと思って生活しています。

おそらく磁気なのかな?と思ったり。

また石川以北と以南では地勢がぜんぜん違います。
琉球石灰岩と奄美にも多い赤土。
なもので、石川北部の人と具志川の人は相いれない人が多かったりとか。

沖縄はひとつではないのです。
 

デークムイ

 投稿者:金武湾  投稿日:2013年 7月28日(日)11時55分40秒
返信・引用
  たぶん私が「デークムイ」と書いたのでこういう話になったのかもしれませが、
うちらでは普通に「でーくむい」と書いたりするんですけど、
発音は「でぃーぐみぃ」って感じの発音だと思います。

間違いなくデーク(大工ではないです)。ウチナー口は一つではないです。
たぶん奄美群島あたりでもそうだと思います。

天願グスクの海側の山の下の海岸は沖縄では二か所しか採れない
ヒジキ採取地として有名なんですが、そこには船を入れておいても
いい洞窟がいくつかあります。

帝国陸軍か、それ以前に使っていたかは定かではないですけれど。
風葬墓ではないですよ。かなりいい感じの洞窟です。
風葬墓は電力の近く(宇堅貝塚海側)にいくつもあります。

言語論とか書籍やマスメディアの言説は殊に沖縄の場合危険だなあと
本当に思います。もちろん県庁マターの言説も眉唾と思ったほうがいいと思います。

そうでした、天願グスクの尾根づたいに金武湾方面にいったところに
野鳥の森公園というのがあるんですが、ここは、たぶん、いわゆるグスクです。

天願川斜面に古墓の痕があり、地元のお年寄りは「ちじ」とか「つぃーじ」とか
いいます。頂上って意味なんでしょうね。

とにかくその場所をを歩いてみないとわからないですよ。沖縄は。
というかどこでもそうですが。
たぶん内地の人なら違う観点もあると思います。

いわゆる沖縄歴史好きの人の話は入口にしておくとよいのでは?
と思ったりもします。なので、私の話も話半分に聞いてください。
 

なるほど2

 投稿者:金武湾  投稿日:2013年 7月28日(日)11時29分18秒
返信・引用
  沖縄の歴史好きの人の多くは言葉や漢字などに正解を求める傾向があるなぁと、
昔から思っています。

現地へいって現地を見て感得してほしいなあと思ったりもします。

まあ、天願グスクの場合アメちゃん(あまちゃんじゃないよ)の領域ですから
難しいですが、ここで大人のウチナーンチューならなぜ難しくなったか?と
考えるべきですが、そう考える人がほとんどいないんですよ。

つまりアメリカがブタイ(グシカワ周辺のお年寄りでは基地のこと)を作った
場所は「誰が住んでも素晴らしい処」だったということ。では、その昔は?
こういう視点がないんですよね。たいていの沖縄の歴史好きの人は。

ちなみに天願グスクの場合、過去に何度も入っていますし年に一回は
清掃作業で入ります。いろいろあるのですが詳しいことを言うと、
所謂アメリカ様関係でやばいのでいいませんが、入ったことがない人
が知らない事実とともに思うことはありますが、言えません。

それもこれも日本とアメリカさまのおかげ+わかった気になった
沖縄の歴史好きの人たちのおかげだなあと思っています。

ちなみに現うるま市でたとえばグスクでもいいのですが、そういう場所は
埋蔵文化財として県に記載されている場所の5倍ほどありますが、
なぜか(ぼけているんですよ)、メディアには載らないので、
いわゆる沖縄の歴史好きの人もしりません。

つまり沖縄は埋蔵文化財についてはウソが潜んでいますし、
そこから漏れたもの(つまり首里人脈のお眼鏡にかなわかったもの)が、
たくさんあるので、そういうところにも目を向けたらいかがでしょう。

たとえばうるま市なら東恩納の某所で地元民はグスクと言っているところとか。
こういうのはいっぱいあります。
 

なるほど

 投稿者:金武湾  投稿日:2013年 7月28日(日)11時10分47秒
返信・引用
  具志川方言ではデークは大工じゃないと思います。
これはたいていの沖縄歴史に詳しい人が陥る罠のひとつかなと。

沖縄の歴史関連の言説は浦添から南の話で、
宜野湾から北の話はほとんどおざなりです。
加えて、現うるま市あたりになると、何かあったの?という
レベルでうるま市の人間もほとんどしりません。

これが沖縄県が復帰後行ってきた洗脳だと思いますがいかがですか?

ウチナー口をひとつと思うという罠はウチナーンチューのちょっと
歴史をかじった人のそばにあると思います。
 

初めまして、

 投稿者:イサム  投稿日:2013年 7月28日(日)09時01分40秒
返信・引用
  トレジャーアイランド@徳之島のイサムです。
何やらグスクの話で盛り上がってるようですね、
琉球松さんの話では管理人さん徳之島入りのようですが、いつ頃でしょうか?
私が暇な時期なら案内もできますが、

徳之島のグスクで看板の建ってる所は数か所、場所探しだけで苦労するかも知れません。

http://www.amami-jc.com/

 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月27日(土)07時43分36秒
返信・引用
  奄美の大熊とかは琉球竹が語源という話をどこかで見た気がします。
訪れたところ特段、竹が生えていたかは分かりませんが。
天願もそうなのか琉球松さんが言うように大工が関係するのか。
 

デーク

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 7月19日(金)11時04分24秒
返信・引用 編集済
   「デーク」の語源は、たぶん文献や伝承でいう「デク」でしょうね。
 天願は現在「ティングァン」と発音しますが、原音は「デクラン・テークラン」ですから、この一帯の地名だと思います。
 いわゆる沖縄方言は長音化する傾向がありますし、家造り船造り両方を意味する「大工(デーク)」と解釈すると、造船業が盛んだった時代があったかもしれません?
 古くから漁業と造船で栄えていた奄美市「大熊(デクマ・デークマ)」の本来の意味は「大工間」だったのではと考えますね。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月18日(木)20時17分29秒
返信・引用
  お~金武湾さんありがとうございます。
やはりキャンプコートニー入口の方がグスクで間違いはないようですね。
それがいつしか広大な範囲がグスクと呼ばれるようになったんでしょうか。

あとは、本来グスクと呼ばれていたピンポイントの場所は
どこかという話になりそうですね。
墓が多いのでしたらコートニー入口ということも言えそうですし
レストラン側という可能性もありそうですね。

しかし、霊化森でデークムイと読むんですか。
「デー」という名前はグスクと関係があるという話もありますの気になるところです。
 

天願グスク

 投稿者:金武湾  投稿日:2013年 7月14日(日)07時49分23秒
返信・引用
  天願グスクなのですがご両名おっしゃるところ全部正解だと思います。
県の資料では大川(天願川)沿、コートニー内の墓のある一体(天願貝塚跡
でもあります)になってますが、県道から海側に見えるあたりの小山まで
全部がいわゆる天願グスクと考えてよいかと思います。

この県道が昭和後期に造られてムィ(森)が断絶しているのです。
また交差点から左手すぐの送電鉄塔の立っているあたりから海沿いの
森を破壊して軍がレストランを作ったあたりまでを
地元ではデークムイ(霊化森)と呼びます。
それなりに巨大な縄張りだったのかもしれませんね。

ちなみに天願小学校は開校時は現在の天願交差点のあたりに校舎があり
このムィを背に立っていました。共有地なので学校にしやすかったのでしょう。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月 9日(火)21時40分58秒
返信・引用
  確か当蔵町にあったということなのですが、よく考えたら首里グスク内の一部も当蔵町になりますよね。
ひょっとしたら琉球松さんの言うとおり首里グスク内かも。

徳之島はグスク地名が一杯なので、どう巡るか悩ましいところです。
面積も広いから主要なところのみか、ピンポイントに絞るかもしれませんね。
 

国仲グスク

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 7月 7日(日)11時32分35秒
返信・引用 編集済
   「国仲グスク」はよくわかりませんね~。
 もしかすると、首里グスク内の拝所でしょうか?

 『沖縄古語大辞典』には
*** 首里城内。「くになかのもり」は、城内の拝所 *** とあり、『おもろさうし 巻3-101 』に「とよむ わうにせ(国王)が せたかこは のたてて まだまもり(首里グスク)けらへて/いべの いのり しよわちへ  "くになかのもり" に 世のこしやて あおりやたて おりやあけて」とありますから、いわゆるグスク内のグスクかもしれません。

写真は、復元された首里グスク京の内の拝所「国仲グスク」跡?と、徳之島天城町の「タマグスク」遠景・HP『トレジャーアイランド』より転写。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月 7日(日)08時27分20秒
返信・引用
  そうですか。グスクっぽさを感じます?
しかし、天願城跡の方が伝承という点からも見た目からも
どうしてもグスクらしさはあるから難しいんですよねぇ。
確か文献は琉球大学で事足りたと思います。

那覇のグスクと言えば、国仲グスクの場所はご存じです?
首里グスクの近くと思うのですが、結局見つける前に沖縄を離れてしまいました。

それはそうと、8月に沖永良部・徳之島に行く計画ですので
いろいろグスクを発見できたらと思います。
 

レンタル掲示板
/9