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徳之島

 投稿者:琉球松  投稿日:2016年 8月10日(水)09時17分38秒
返信・引用
   いいですね徳之島。
 僕も2度旅行の予定を立てたりしたんですが、台風でことごとく中止(泣)

 この島にあったであろう「カムイ焼土器」の製造拠点には北部九州や朝鮮人技術者が滞在したでしょうか。
 琉球圏の「グスク時代」の発祥を考える上で徳之島は外せないですね。

画像は「江洲グスク」入り口付近と域内の墓所(沖縄島中部病院近く)
 
 

徳之島移住します

 投稿者:旭大輔  投稿日:2016年 8月 8日(月)21時46分26秒
返信・引用
  お久しぶりです。元同期の旭です。覚えているかな。
この度ついに移住の夢が叶うこととなりました。
地理的にはほとんど沖縄だけど鹿児島、奄美大島の隣 徳之島です。
そろそろ東京帰還かな。会いたいねえ。俺は来年の4月から徳之島の法律事務所で働くことになりました。
徳之島にも遊びに来てね!
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月24日(火)23時40分51秒
返信・引用
  こんな更新が遅いサイトにわざわざありがとうございます。

確かに発音がンジャトゥならば新しい里ではないのかも。
住用見里はどうでしょうね?訪れた感じでは新しい里かなと思いましたが
改めて考えると港でもおかしくない立地ではあります。
近いうちに住用地区を更新しようと思っているので、ちょっと検討してみようと思います。

伊波グスクも含めて語源はやはり奥が深い。
 

美里

 投稿者:琉球松  投稿日:2015年11月23日(月)14時01分44秒
返信・引用
  管理人さんへ

 はいは~い、ほぼ毎日チェックしてますがストーカーではありませんのでご安心を(笑)。
 「美里」の方音は「ンジャトゥ」ですから「ミーザトゥ(新里)」にはならないと思いますね。
 一方、「湊・港」は「ンナトゥ」に近いですから「美里=湊」説が妥当に思えますし、奄美市見里(ミザト)もそうかもしれません?

 ちなみにこんな琉歌があります。
*** んじゃとぅまじりぬいふぁぬ(美里間切の伊波の)略 ***
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月23日(月)11時31分58秒
返信・引用
  >>琉球松さん

恐ろしく早いレスありがとうございます。
うるま市出身だったんですね。

伊波グスクの別名って美里グスクだっけ?と自分のリスト見たら確かにそうですね。
どう漢字を当てるかはともかくミサトと発音するのは「新しい里」という意味だと思ってましたが
必ずしも全部に当てはまるわけではなさそうですね。
地名の語源は難しい。
 

美里グスク

 投稿者:琉球松  投稿日:2015年11月23日(月)09時15分43秒
返信・引用 編集済
  管理人さんへ

 一区切りついたようで、お疲れ様でした。
 今後は検証と再々確認になると思いますが、グスクは奥が深いですから。。。
 重複するグスクも意外多く、例えば沖縄島うるま市の「伊波(イハ)グスク」は別名「美里グスク」ですね。
 このグスクは子供の頃の遊び場で、罰当たりにも石垣の一部を持ち帰ったりして母親に「元に戻せ!」とさんざん叱られたものです(笑)。

 幸いにも沖縄&奄美は王朝時代の行政区分「間切」が残っていましたから、その辺から調査する手もあるのでしょう。
 上記の「伊波グスク」は伊波集落にあるわけですが、古来から「美里間切」の主要グスクで、初期北山勢力の残党による築城と伝わってますね。北山は奄美群島を勢力下に置いてましたから、与論や奄美大島との関係もあるのでしょう?

 地名研究家によると「美里」は「ミナトゥ(湊)~ミジャトゥ」の転で、金武湾を見渡す良地にあることがわかります。
 多くのグスクが海上交通と高速通信に関わる施設でもある所以ですね。

 久しぶりに訪れたこのグスクは懐かしくもあり、聖なる風が吹き抜ける癒しの空間です。

画像は『余湖くんのホームページ』より転写
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月23日(月)00時48分50秒
返信・引用
  9月中にできると思った南西諸島グスクリスト更新作業がようやく終わった。
今後というか、ここ最近は全部作成してからまとめてアップではなく
一部記事が出来たり更新する度にアップするようにしている。
なので、一区切りがついたという意味での更新報告になる。

しかし、作業時間は100時間を軽く超えた気がする。
奄美のグスクの何割かに大凡の場所を示したリンクを付けた。
そこまで見る人はまずいないのだろうが、意地で頑張った。
遺構としてのグスクは楽なのだが、小字としてのグスクは場所の比定がかなり大変であった。
それでも正確かは甚だ疑わしい。
それ以上やるなら法務局で登記簿を取るしかないかも。

ちなみに、グスク数は前回の更新数から1つ減った。
一見別のグスク名だが、よく検討したら文献等の誤記等が理由により
同じグスクであろうというのが幾つかあった。
一方で、幾つか新しいグスクも追加した。
喜界島が少し増えたと思う。

次からどうするかは考え中。
住用地区を更新するか、与論・知名町あたりを作るかな。
それか気分転換におまけをちょろっと作るかな。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 1日(火)22時45分28秒
返信・引用
  8月下旬に奄美大島・沖永良部島・与論島を回った。
トカラ列島も行く予定であったが、今年も台風で行けなかった。
取り敢えず、大島の全集落を巡り終えた。

グスク関係の文献等をかなり集めてきたので
今月中にはグスクリストを大幅改訂したいと思う。

住用地区の文献と写真も少し撮ってきたので、これも追加していきたいと思う。
与論町、知名町も全集落を巡り終えて、文献も揃ったので、いずれ更新できると思う。

そうこうしていると沖縄の記憶が薄れてきて、ページ作成に苦労することにはなる。
糸満市のページはちょくちょく更新していきたいと思う。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 8月 6日(木)23時45分47秒
返信・引用
  ものすごく久しぶりにおまけ以外を更新した。
写真はそこそこあるが、文章量は全然ないが。
そのうち「住用村誌」とかにあたろうと思う。

今後は・・・どうするかな。
市町村単位ではなくグスク単品ずつアップするかも。
その場合は南西諸島グスクリストにひっそりとアップするかも。

>>琉球松さん
ものすごく返信が遅れましたが
いつも投稿ありがとうございます。
言われてみれば、確かに「加計呂麻」と「慶良間」は似ている。
調べる価値が多いにありそう。
 

嘉入

 投稿者:琉球松  投稿日:2015年 6月11日(木)11時04分52秒
返信・引用
  青木さん、始めまして沖縄島の者です。

 ブログ拝見しました。さっそくお気に入りに登録しましたよ。
 加計呂麻や与路、請あたりは美しいですね。沖縄諸島とはまた違う趣きがあります。

 嘉入の「グスコン」ですが。。。
 その響きからすると「グスク」地名と考えていいと思いますね。
 ただ、その原義が忘れられた後の命名でしょうか。"特別な場所" に「グスク」と名付ける例は多いです。
 遺骨の存在やノロ祭祀があったことを考えれば、加計呂麻の場合 "英雄墓所説" が妥当かもしれません。

 余談ですが。。。那覇の西側に点在する「慶良間諸島」は加計呂麻と語源を同じくする可能性があります。
 母音のaとeが連続するために「カ」が脱落して「ケラマ」となったのではないかと。。。

写真は慶良間諸島座間味島の「いびぬめえ(イビガナシ)」で祈祷するノロ
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 6日(土)21時00分11秒
返信・引用
  下記青木さんのおかげで少しだけ南西諸島グスクリストを更新した。
ついでに、気付いた誤記等を直した。
指摘されるまで加計呂麻の記載を間違えていたことに気付きませんでした。
大変恥ずかしい・・・。

今までよくクレームが出なかったと思うが
何故か大和村を奄美市の一部にしていたので直した。

あと、密かにたま~に書き換えていたのだが
思い切ってプロフィール部分を書き換えた。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 4日(木)20時01分49秒
返信・引用
  閲覧ありがとうございます。
ブログの方にもコメントさせていただきましたが、面白かったです。
あとグスコンの詳細も分かって助かりました。
今後も是非よろしくお願いします。
 

加計呂麻島・嘉入集落のグスコンについて

 投稿者:青木  投稿日:2015年 6月 3日(水)23時18分37秒
返信・引用
  加計呂麻島の嘉入集落に住んでいる者です。
チェコ在住の友人から、こちらのサイトで嘉入のグスクについての情報が載っていると聞き、面白そうなので集落の方に色々と話を聞いてみました。その顛末をちょっとミステリー風に書いてみましたので、よろしければご覧下さい。
http://blog.iperuipe.jp/

http://blog.iperuipe.jp/

 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 2日(木)22時48分28秒
返信・引用
  >>Shuichi Asaさん
いずれにせよ当方のグスクリストには名前がないので、気になるところです。
加計呂間島の渡連集落ではグスク名称があることは確認しているのですが。

>>琉球松さん
解説ありがとうございます。
ちなみに、管理人は我如古に住んでいました。

須久名は知られた名前の割にグスクとしてはどの文献でも紹介されていないから
まだグスクとして紹介していないんですよねぇ。
未だに悩んでいる地名です。

須子茂については言われてみればグスクっぽい気もしてきました。
まだまだグスク名発掘の余地があるかも。

ついでに突然の告知ですが、今年も夏休みに奄美を訪問します。
恐らく7月か8月になるかなと思います。
ただ、今年は主にトカラを巡って、奄美には数泊かも。
夏の与論島にも行きたいのだけど悩ましいです。
Shuichi Asaさんもタイミングによってはお会い出来たら。
 

琉球圏の地名

 投稿者:琉球松  投稿日:2015年 4月 1日(水)10時15分57秒
返信・引用 編集済
   「久志」は沖縄島にもありますよ。
 原義はクシ(後・腰)でいいと思いますが、九州南部で定着して南下したとの解釈も捨てきれないですね。
 クシがグスクと関わるとすれば「クシ(グス)/ク」ということになり、「ク」は地質を意味するのでしょう。
 カネクの「ク」は場所や土壌を表すとの解釈もありますしね。グスクは "集落の背後の特別な地" とも言えそうで厄介です。

 琉球圏でもっとも多い地名は「○○グスク」らしいです。次に多いのがカネク(兼久・金久・金子 etc )、沖縄島中部の我如古(ガネコ)もそうでしょう。
 地名にグスクが多いと言うことは、そこが特別でかつ一般的だからかもしれません。

 須久名、天底、瀬底=節子?、底仁屋=古仁屋?。。。沖縄島にも怪しい地名がけっこうあります。喜界島の「手久津久」や加計呂麻島「須子茂」もグスク地名かも?
 

渡連宿について

 投稿者:Shuichi Asa  投稿日:2015年 3月31日(火)23時05分33秒
返信・引用 編集済
  管理人さんこんばんは。
掲示板に沢山情報が集まってくると良いですね。
当方が「渡連宿」を節子集落の小字だと書いたことは訂正したいと思います。

節子集落の字絵図を確認したところ、
・「勝浦ズク」(カッチュラズキィ/カッチュラズキ)※()内は、おそらく戦後に調査した人が呼称を古老などから聴いて?字絵図の余白に加筆表記した形跡が認められます。
・「大和(ヤマト)スク」(ヤマトスィキィ)※()内は、以下同文。
・「平ズキ」(ヒィラディキ)※()内は、以下同文。「ヒリャディーキ」か?
が認められました。

「渡連宿」という小字名は節子集落ではないものの、瀬戸内町内の他の集落で見た記憶があり、それを当方が節子集落にあったかも?と、しっかり確認せずに載せてしまったミスです。訂正しておきます。
また渡連宿がどの集落にあるのか分かり次第、この掲示板で紹介したいと思います。
「コシ」「クシ」の語源が後方を意味するのはおそらくそのとおりだと思います。
「倉のうしろ」のことを方言で「クランクシ」と言います。平地の前方には民家が建ってなく、平地の後方に民家が密集して建っている古志集落が瀬戸内町に認められます。その為、昔は「古志の引っ込みジマ」と呼んでいたようです。平地の前方は、元々干潟で満潮や台風などで塩分濃度が増す低湿地だったと見受けられます。現在でも、一部マングローブが取り残されている場所で、字図では「浜田」ですが、「シオイリ」(塩入/潮入)という別名で呼ばれています。現在も民家は一軒を認めるだけで、主に田畑として利用されていますが、昔は塩害が出るためか「浜田」=シオイリでは二毛作出来なかったとのことです。
  
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月31日(火)21時12分33秒
返信・引用
  何日かチェックしていない間に掲示板始まって以来の活況を呈している!

>>お二人へ
投稿ありがとうございます。
コメントが多すぎて全部に返事できませんが、何点かについて。

私としては「宿」とあるのは基本的にグスク地名と思っているので
渡連宿とあるならば、グスク地名かなぁと思います。

あと、何も調べずに書きますが、「久志」地名は地形語かと思います。
うる覚えですが、後方とか崖を意味する「こし」「くし」あたりが語源かなと。
違ったらすみませんが。
赤尾木についてはどっかで語源を見た気がするので、見つけたら報告します。
 

(無題)

 投稿者:Shuichi Asa  投稿日:2015年 3月31日(火)17時51分3秒
返信・引用
  「グスク」呼称の南下興味深いです。
といいますのも、集落呼称の南下ともとれる事例があります。
薩摩半島の赤生木、久志は、奄美大島にも赤尾木、久志としてあります。また徳之島町の下久志という集落の人に、奄美大島の宇検村に久志集落がありますが関係ありますかと伺ったところ、「向こう(宇検村)が久志という名前なので、こちら(徳之島)は、後に“下”を付けたため、「下久志」になったとのことです。

この掲示板をざっと読むと、グスク=城説、宿説、聖地説様々ですね。琉球松さんのグスクという呼称の南下の可能性も考えて今後何か解明が進めば面白いです。
 

うがんどぅさ

 投稿者:琉球松  投稿日:2015年 3月31日(火)09時09分19秒
返信・引用
  Shuichi Asaさんへ

 大島南部では「うがんどぅさ」って言うんですね。
 「うがみんしょうら」は名瀬など北部限定なのでしょうか?
 挨拶言葉と「グスク」の語義語源は関係ないかもしれませんが、人の移動と言葉はセットですから何か参考になるかもしれません。

 いわゆる「グスク時代」は、奄美&沖縄の群雄割拠の時代ですから宮古&八重山に原初的グスクは存在しませんね。言葉としての「グスク」は王朝統一以降のものでしょう。
 そう仮定すると「グスク」は "南下" してきた言葉でないかと考えますね。吐?喇列島にも存在しますし、九州南部の「城(シロ・ジョウ・キ)」の中には「グスク」に近い音だったものもあるかもです。

写真は、アマミキヨ降臨の琉球圏最高峰「湯湾岳」・・ここまで高いとさすがにグスクとは呼ばない。
 

Re: グスク=城

 投稿者:Shuichi Asa  投稿日:2015年 3月27日(金)18時14分28秒
返信・引用
  琉球松さんへのお返事です。

琉球松さん、うがんどぅさ!

>  グスクに「城」の字を当てたのは、その原義を知らない大和人だと言われてますね。
→そうでしたか。奄美でも江戸時代以降から方言や知識が充分でない薩摩の役人と島役人が、苦心しながら当て字したと思われる地名が沢山あります。
現在においても同様のことはみられます。
小字:真崎(マサーk)※長音部分は上がり調子(中国語でいう第二声)をカタカナ表記でマサーキと書けば、少しは正確さを残しますが、どうしても方言耳を持たない人が表記するとマサッキと書いてしまっています。マサッキでは古老が発音するマサーkからは程遠い表音表記になるため残念ながら不正確な試料を後世に遺すだけになりますね。



>  せいぜい鎌倉時代頃でしょうか。この時代の関東には「具足(グソク)」という語があり、甲冑などの武具やそれらの保管場所を表しますから「城」としたのでしょう。
>  古地図には「玉具足城(玉城グスク)」などが見え、厄介なことに「中城グスク・豊見城グスク・玉城グスク」など城の後にことさら「グスク」をつけてめんどくさいですね。
>
>  これはたぶん、例えば「玉」を原義とする「玉グスク」を中心としたエリヤ全体を「玉城」と呼ぶようになり、その経緯が不明となった後世に、玉城地方にあるグスクとして「玉城グスク」になったのでしょう。
>  同じように「中城グスク」の本名は「中」だと思いますね。「豊・玉・中」は美称でしょうから、たんに「立派なグスク」と解釈していいかもしれません。
>  徳之島の「玉城(タマグスク)」周辺には「玉城」という地名が見当たらないということもその証でしょう。
>
>  あるいは浄土宗や真言宗の僧らの命名だとすれば仏具を表す「三具足(ミグソク)」などかもしれません。「三」が3本の石との習合だとすれば「グスク」以前の本名は奄美沖縄が温存する聖地「イビガナシ」の可能性すらあるでしょうか。
→イビガナシやイヴィガナシがグスクよりも先にあった説興味深いです。


>  あと、奄美市の「小宿(コシュク)」は気になりますね。「渡連宿」も「渡連グスク」の転かもしれませんから、グスクはまだまだ増えそうです。

https://m.facebook.com/shuichi.asa

 

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