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スレッド一覧

  1. 小説について、音楽について、バンドについて語るスレ(0)
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 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 4月 7日(金)05時22分46秒
返信・引用 編集済
  自分への戒めとして、書斎に掛けました。
 
 

スタンド・バイ・ミー

 投稿者:野村理英子  投稿日:2017年 4月 5日(水)09時21分39秒
返信・引用
  スタンド・バイ・ミーを昨日、受け取りました。ありがとうございました。いつもいた人が居ない寂しさを感じます。  

nomuraさん ありがとうございます。

 投稿者:山本 洋  投稿日:2016年 8月18日(木)17時18分16秒
返信・引用
  nomuraさん。旅行につき、返信が遅れて申し訳ありません。拙作を飽きずに読んでいただきありがとうございます。掲示板に久々の反響も嬉しい限りです。今後も読んでくださいね。「サーチ」は、この前神奈川県で身障者施設襲撃の悲しい事件が起こったことに対してのメッセージでもあります。  

4月の空 3

 投稿者:山本洋  投稿日:2015年 4月18日(土)05時12分43秒
返信・引用
  2015年3月、ドイツのメルケル首相は、来日講演の中で、「ドイツが戦後、国際社会に受け入れられたのは、過去ときちんと向き合ったため」と述べた。メルケル首相は講演で、ヴァイツゼッカー独大統領(当時)の1985年のスピーチ「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」を引用し、ドイツは戦後、かつての敵国とどのようにして和解することができたのか、との質問に対して「近隣諸国の温情なしには、不可能だった。ただ、ドイツ側も過去ときちんと向き合った。ドイツはナチスと正面から向き合ったから今がある」と言った。「ドイツは過去ときちんと向き合った」こと、「福島原発事故に学んで脱原発の決定を下した」ことを語って、上品かつやんわりと安倍政権の歴史修正主義と原発再稼働方針を批判したが、「言論の自由」についても、「言論の自由は政府にとって何の脅威でも問題でもない。さまざまな意見に耳を傾けなければならない」と強調した。
 日本は歴史と真摯に向き合っているのだろうか。ヘイトスピーチを垂れ流しにして、侵略戦争を正当化しようとする流れがある。戦争は経済を潤すと言う論理がある。アメリカは大儀なきイラク戦争で、決定的に経済が破綻した上に、「イスラム国」の脅威をも生み出してしまった。もし潤うことがあっても、その潤った経済の下には累々とした戦死者の骨が敷かれることになる。
 歯車が「かつて来た道」を辿りはじめた時、時代のストレスと引き替えに狂気のように過剰に適応する人々がどれ程多くいるかを想像することは容易だ。それでも時代の歯車は廻り続けるだろう。やがて大きな「強い者」が、弾劾される時代が訪れて、自ら従ってきた愚をも見つめ直さなければならなくなった時に、果たして真摯にそれを見つめられる者がどれ程いるのか。分からない。
 四月の空にはそんな「わからなさ」とは無関係に白い雲が流れ続ける。
 暑い夏に、蝉の声が響き続けるその中で、突如戦が終わったように。それは突如訪れて、突如去っていくのだろうか。
 空の色の良い日に、川沿いの道をランニングして戻り、猫の額の庭の空間で水を飲む時の幸福。そして、空っぽになった頭のまま、樹木の先端にとまる小さな昆虫が、光りに照らされて微妙な色に見えたり、足下の菫が宝石のような色の露の水滴をたたえていることに気付いた時の幸福。こんなささやかな幸福を守っていきたい。守るべきものとは、そうしたささやかだがかけがえのない幸福を、時代の移り変わりとともに蹴散らし続けてきた「国」などではない。何ものにも束縛されず、何ものに脅かされることもなく、ほんのささやかな物事を感じ取る感性を保ち続けることのできる幸福。これこそが今、われわれが本気になって守らなければならないものだと思う。
 

4月の空 2

 投稿者:山本洋  投稿日:2015年 4月17日(金)05時51分15秒
返信・引用
   映画監督の伊丹万作がかつて、戦争責任の問題を嘆いた文章があるので紹介しておこう。
「最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏ほきようにつとめていたのであろう。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱せいじやくな自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
 しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
 たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
 しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
 なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)――「戦争責任者の問題」伊丹万作――
 

4月の空 1

 投稿者:山本洋  投稿日:2015年 4月16日(木)05時10分3秒
返信・引用 編集済
   2015年4月。雨の間を縫って晴れた空が広がる。そんなときの空は青く、雲が水のように流れている。川沿いの桜は、今年はやけに花が多く、風に舞った花びらが川の流れの緩やかなところに溜まって白いモザイク模様を作っているのが美しい。
 我が家の一坪半程の猫の額のような庭に椅子を置いて、空を意識しながら、海からの風を感じてじっとしている。五十代後半のこの頃になって体の奥の方で変調が起こりつつあるのを意識することが多くなった。胸の奥の方でぞわぞわするような感覚がいつも残っている。常に何かをせきたてられているような感じだ。人前に立つのが極度に嫌になり、仕事を続けることにも疑問を感じることが多い。精神的な部分に負担がかかっているからだと思う。自分の節を曲げて行わなければならないシーンが多すぎるのだ。
 状況が、雪崩を打ってある方向に流れようとしている時に、唖然としたままそのシーンを見送ってしまうことがある。軍備を放棄したはずの国が、「集団的自衛権」の閣議決定により、外国で戦いに加わることができるようになってしまった。「経済発展」のために輸出大企業が堂々と武器を輸出できる国になってしまった。日本が戦後七十年間戦争という悲劇を起こさなかったのは憲法九条の存在だった。しかしその存在を過去のものとして葬り去ろうという動きが広がりつつある。
 形のない「精神主義」を強制や戦の道具に使うこの国独特の前近代性。しかも、戦前の流れよりも露骨にそれらは広げられている。何をそんなに急いでいるのかと惨い事件が毎日のように起こるこの国の空の下で思う。
 空には水の流れのような雲があり、青々とした透明さが笑っている。
 極度に締め付けられた状況の中で、出口が見つからないような悲惨な中にいると、人間はその中でいちばん権力を持った者に、愛情に似た感情で従う性質を持っているという。例えば、どこかの銀行に強盗が銃を持って押し入り、人質を取って立てこもった時、そこにいた少女が自分の命を握っているその強盗に恋情に似た感情を抱いたというあれだ。人間は弱い生き物である。今の我が国のように出口のない、閉塞した状況のなかで、強盗に当たる者が誰なのか知らないが、そんな強盗に恋情に似た票を入れ続ける人々。「強い」者に賭けることは、自らリスクを負わないことだと尻馬に乗りたがる人々がうそぶく。状況が傾けば、直ちにそれに従わない者を弾劾し、告発し、指弾する隣の人々。自らは従っていることをことさら強調してみせることで弾劾されることを避けることは、不幸の手紙や、ネズミ講に似た構造を持つ果てしない泥沼に等しい。
 戦後民主主義とは何だったのか。失われることで徐々に明らかになっていくその脆弱な思想体系。どこかの大国が崩壊したことで、その思想までが死んでいったと錯覚し、黙り込んだ「思想家」達の国。思想とは流行り廃りで変わるべきものではなく、勿論他国の状況で変わるものでもない。むしろ思想は今のような苦しい時代を経て作り上げるべきものだ。
 近代は終わったと勘違いしている人たちがいる。日本には近代さえ訪れていないと夏目漱石は言った。外発的付け焼き刃の西洋化が、内発的な変化を追い越してしまったために起こった捻れ現象を今も引きずっている国日本。その都度「強い者」に自らの精神的リスクを減らすためだけに従ってきたために、実体すら分からなくなって閉塞している国で、人々は自分を見失い、より弱い者にしわよせをはじめている。核廃棄物の処理の仕方さえさえままならない原子力発電所が再稼働され、その不完全な技術を輸出し続けている国。核で汚された土地はこの先目の眩むような年月の間、汚染が浄化されることはないと言う。この状況を作ってきた大人達は、そのリスクを次の世代にそっくり背負わせようというのだろうか。何も見えないままに時代は大きな歯車を回し続ける。どこに向かって歯車はその軸を回しているのか。分からない。
 

ありがとうございました

 投稿者:あべメール  投稿日:2009年 8月28日(金)08時50分35秒
返信・引用
  山本先生、ありがとうございました。

実は、私、教育現場で仕事をしておりまして、先生の「窓の外」に感動し、
教材として使用させていただきたいと思い、著作権の問題等ございました
ので、活字として出版なされているものがあるのか…と失礼ながら書き
込ませていただきました。
青空文庫 等に問い合わせ、使用させていただけることとなりました
折には、生徒たちと読ませていただきたいと思います。

ご丁寧に返信いただきましてありがとうございました。
 

Re: 窓の外について

 投稿者:山本洋  投稿日:2009年 8月25日(火)12時15分24秒
返信・引用
  > No.244[元記事へ]

あべさんへのお返事です。

アベさん。お返事が遅くなって申し訳ありません。窓の外はそしてには掲載されていません。小生の短篇集バックミラーに書き下ろしたものです。それも残念ながら絶版になっちゃいましたので、小生宛てにアドレスをなんらかの方法で教えていただければお送りしますが。
 

窓の外について

 投稿者:あべメール  投稿日:2009年 7月28日(火)11時23分5秒
返信・引用
  山本先生。掲示板に書き込みをするという大変失礼なご連絡方法で恐縮ですが、
先生の「窓の外」という作品は、文芸誌「そして」に掲載されたものである、と理解して
よろしいのでしょうか。
活字になった状態で手に入る方法が知りたいのですが…。
本当に失礼な質問で申し訳ありません。
 

不思議

 投稿者:山本 洋  投稿日:2009年 6月21日(日)11時48分36秒
返信・引用 編集済
   庭にある桃の木が花を終え、葉を茂らせ始めた五月の休日の事だった。この桃は植えたばかりの頃、二歳だった子供がいたずらに折ってしまったのだが、紐でぐるぐる巻きにして繋げて再生した木だった。それ以来毎年見る見る大きく育ち、三、四年後には、大きな白桃の実をつけるようになった。ところが、この木にも受難が続く。というのは、その頃になって、青葉が茂るようになると大量のアブラムシが若葉につくようになり、葉を枯らしてしまうようになった。植木の知識もないので、そのまま放っておいたら、若葉が赤茶けた色のまま巻いてしまうようになり、アブラムシもつかなくなった。しかし、そうなってから、桃も実を結ばなくなり、毎年夏になっても楽しみにしていた白桃の実は食べられなくなった。それでも、桃の木の下に佇んでいると、不思議と涼しい空気に包まれるのが心地よくて、夕刻に時間さえあれば木の下に立つのが好きだった。黄昏時の桃の木の下に佇むと、妖艶な幻が見えそうな気配もあり、桃の葉の、長い髪のようなしなやかさと供に枝振り自体がそう言えば艶っぽいことに今更ながら気づくのだった。そうしていると、どこからともなく、物音が聞こえてきた。ざわざわした気配で何かを食んでいるらしく、それは頭上の桃の枝の中から聞こえてくる。そういえば、いつかの夏に、角のある尾を持つ、おおきなペールグリーンの蛾の幼虫が、恐るべき早さで桃の葉を食んでいたことがあった。また蛾の幼虫なのかと思って、翌朝よく木の上を見てみたが、それらしい幼虫はいなかった。幼虫の擬態は人の目を欺くようにできているから、見つからなかったのかもしれないと思ってもみたが、樹下に幼虫特有の丸い糞が落ちていないのが変だった。やがてそんなことも忘れてしまい、六月になる頃、新しく伸びた桃の枝を剪定しているときに、うっかり触れた枝が中空になっていて、ぼきりと折れたのだった。折れた枝を拾ってみると中から何かの虫の羽音が、しかもかなり大型のそれの羽音が聞こえてきた。驚いてそれを放り投げた後、もう一度その正体を確かめようとそっと中空の枝を拾って中を覗くと、中には黄色い胴体を持つクマバチが黒っぽい羽を震わせていたのだった。クマバチがどのように育つのかは知らないが、五月の夜、樹下で聞こえた木を食む物音はこのクマバチの仕業だったのだと納得した。不思議なものだ。虫たちは思いがけないその生態を、時々我々の前に現れて知らせてくれる。五月の日差しに透かされた樹木の葉を見ていて、思わず、その葉脈の美しさに感嘆したこともある。また、雨の降った翌日の針葉樹の葉先についた水滴の輝かしさにも息をのんだものだが、その時は、生まれたてのクマバチのその黄と黒の色の瑞々しさに感嘆したのだった。「自然は文句なく美しい」そんな言葉を自分で思い浮かべていた。様々な動物や昆虫や植物のその姿の違いや色模様を自然という力は、どの時点で、どのように配置しようと決めたのか。しかも、それらはしかるべき必然でそんな形になり、そんな色彩を与えられているという。予め仕組まれたDNAの情報がそうしているだけなのかもしれないが、この地球という星の生まれたときから、生き物が誕生するまでには数々の偶然が重なった結果だったと聞いたことがある。何かの偶然によって紡がれてきた生命というものの必然的な美しさの集積を、ふとした機会にかいま見たとき、その偶然と必然の物語の精緻さには、ただ感嘆するばかりなのだ。  

桜道

 投稿者:山本 洋  投稿日:2009年 4月11日(土)22時03分14秒
返信・引用 編集済
                      桜道
                                                            山本 洋

 今日久しぶりに川沿いの道を走った。記録をたどると前回は2008年11月22日に58分20秒で走っているから、五ヶ月ぶりになる。なぜ五ヶ月走らなかったのかというと、左の脹ら脛を痛めていたからだ。トレーニングマシーンで錘を重くしすぎて少し痛んだまま、テニスをしていてチャンスボールで踏み込んだ途端に痛くなってしまった。しばらく足を引きずるように痛かったが、じきに治ったと思って練習に出て再発。遊んでいたわけではない、れっきとした指導として参加していたのだから仕方がない。さすがに二度目は翌日にも痛みが残り、行きつけの整形外科に行った。これは治るのにしばらくかかりますよと脅されて、今までおとなしくしていたということである。久しぶりに走ると、すぐに息が上がってしまいペースもがた落ち。おまけに左足のことがあったから、おっかなびっくりだったが、約十二キロの道のりを何とか完走できた。というのも、この季節は景色が綺麗だったからだと思う。川沿いの桜が散りかけていて、はらはらと花びらを降らせていた。花吹雪である。その中を走るのは何とも心地がよい。花吹雪越しに見える人や景色が妙にドラマチックに見えるのだ。しかも、引地川の中州は菜の花の黄色と緑の色で埋まっている。川の流れにも花びらが流れ、淀みには花筏を作っている。土曜の早朝6時30分。走っている人たちがちらほらと見える以外、通り過ぎてゆくのはご老人ばかりだ。彼らも通り過ぎると花吹雪の中にぼんやりと入って幻のように思える。復路に山沿いの日陰の道に入るのだが、小鳥たちが鳴き、新緑が瑞々しくて、走ってよかったなとしみじみ思ってしまう。心なしか、走っている人たちの数も普段よりは多いような気がする。みんな、この景色と花の美しさを知っている人たちなのだと思う。目の前の空からカルガモが降りてくる。走りながら見ていると鴨たちは豊かな体をもてあますように前のめりに転がるような愛嬌のある着地をすることに気がついた。また、季節が巡ってきたんだなと思う。こうしてその都度気持ちを新たにして、走るたびに通り過ぎていくもの。決して戻ることのない時間。どんなことをしていても、風のように通り過ぎて行く。やっとの思いで家の門の前に到着。腕時計のタイムは61分32秒。ぐっと落ちた。調子のよい時は40分台で走ったこともあるのに。久しぶりなのだから仕方がない。村上春樹も本の中で書いていたが、タイムは歳と供にどんどん落ちていくらしい。「満開の桜や、色づく紅葉を この先いったい何度 見ることになるだろう」と竹内まりやは「人生の扉」で歌っていた。残された時間は意外に少ないのかもしれない。
 

 投稿者:山本 洋  投稿日:2009年 4月 6日(月)23時02分53秒
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  ここ七、八年ほど、三月になると解禁される箱根の芦ノ湖の鱒の虜になっている。六時過ぎに家を出て、車をとばせば八時には釣り糸をたれることが出来る距離。近くの店で千三百円の釣り券を買って、最初に竿を振るときのわくわくする気持ちはたまらない。それでも、何時間待っても一匹もかかってこないときもある。だが、僕はかつてここで、何匹もの大物を、しかも、目の前で緑色をした五十センチ級の奴を取り逃がしているから、湖の不気味な沈黙に魅力すら感じるようになっているのだ。最近になって、そんな時はいくら粘っても来ないことがわかってきたので、午前早々に帰ることにしているが、以前は暗くなるまで粘って、こちこちに冷えた身体で家に帰ったものだった。芦ノ湖は寒い。湖の上を滑ってくる風が、水温で冷やされているから、その風にもろに当たっていると体温はいくらでも下がっていく。しかも、時々雪やみぞれが降ってくるのだからたまらない。雪の中竿を降ろしている中国の「孤舟蓑笠の翁」ではないが、そんな者になってしまったような気さえしてくる。すっかり冷え切った身体を風呂で温め直して、何回めか前に釣り逃がした大物の話をして、家族にせせら笑われると次こそは目に物見せてくれるという思いがふつふつとわいてくるのも、この釣りの面白いところだった。勿論最近は完全防寒スタイル。新素材の肌着を二重に着込んで、その上からセーターとダウンジャケット。それでも指先から切れるように冷えてくるのが芦ノ湖の風の冷たさなのだ。ついこの前も、中学生の子供を連れて行ってみたところ、投げた途端にヒット。しかも、十時頃に大物の連続ヒットで、そのために1.5号に替えておいたハリスが功を奏して、大物の殆どを釣り上げることが出来た。近くの観光客が何人も寄ってきて釣り上げた魚を讃えてくれるのも嬉しいが、もっと大きなのがここにはいるんですよなどと不満を漏らしながらも心地よさをもてあそんでいる自分を素直ではないなと思ったりするのである。子供の竿にもそれなりの獲物がかかり始めたとき、いきなり竿を持っていく勢いに驚いて、「おい、俺に替われ」と言っても、息子は「これやってみたい!」と言うので落ち着いてやれと任せてみた。随分長い間格闘したので、ハリスが伸びてしまっていたのか、すぐそこまでというときになって、大物は姿を見せるまでには至らず、水面に大きなうねりを残して湖底に消えていった。息子の手が震え止まないのを見て、彼も虜になったかもしれないと思う。レイモンドカーバーの小説の中で、子供の頃に痩せた大物の鱒が川沿いの溜まりのに中に紛れ込んでいるのを発見して、必死になってついに捕まえ、一緒に夢中で追った見知らぬ子供と、頭と尾の部分とに分けるのに随分苦労したというような話があったが、鱒がこれほどまでに人を虜にする理由はいったい何なのだろう。ほんの少しのハリスの太さで食いついてこない利口さへのかけ引きのおもしろさもあるのかもしれないが、僕の場合はやはりその獲物の大きさにあるのではないかと思う。そして釣り逃がした悔しさがいつまでも尾を引くのも鱒の特徴だろう。海では逃げてしまった大物は二度と釣り返そうなどとは考えないものだから。そして、釣っているときの気持ちの高揚も文句なく良い。茫漠とした日常のとらえどころのなさに比べたら、はるかに確実性のある満足感や期待感が、これほど釣る者を高揚させているのだろうと思う。金や価値とは無関係な「魚」ということも魅力の一つなのだろうが、釣ってきた鱒を適度に塩で水分を抜き、程良い頃に薫製にして自分で食べたり、親しい人たちにあげる嬉しさも、魅力の一つなのだろうか。  

マリンバ

 投稿者:山本 洋  投稿日:2009年 2月21日(土)11時19分36秒
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   世界恐慌の危機が囁かれ、株が暴落しても、そんなものに縁のない自分には全く関係ないことだと思っていた。世界は一つの船にたとえられることがある。それは経済という一つの船の上だ。ブッシュ=アメリカが世界の全ての力を手に入れたつもりで暴れ回り、様々な国に自分達の味方になるか敵に回るかと問いつめたあげくに従わない国に制裁を加える戦争という無駄遣いを垂れ流しにした。払える余裕のない人に、マイホームの夢だけ見せて、押し売り同然に売りつけた住宅資金の返済が当たり前のごとく滞ったおかげで、世界経済の船はアメリカの大穴浸水から沈没寸前まで追いつめられた。この国でも、まさかと言われる大企業が人員削減に奔走し、都合よく使われ続けてきた派遣社員が、明日の生活すらままならないどん底に追いつめられている。その余波は我々にも及び、今年から給料の幾分かが二年間にわたってカットされるという。関係ないと思っていた愚かな自分にも石つぶてが降ってきて初めて大変なことなのだと気づく。
 マリンバという楽器がある。アフリカの楽器だが、両掌に乗るくらいの大きさの木箱に、小さな一センチ程の穴が裏表に開いている。焼けた金属棒のような物であけたらしく、周囲は黒く焦げている。鉄のブリッジが二本ついていて、片方のブリッジの下に十本の鉄のピンが通してあって、もう一方のブリッジの上で挟んである。ブリッジの先には、お粗末な木のブリッジが差し込んであって、それが十本のピンを押さえているらしい。ピンはそれぞれ長さが違い、真ん中ほど長くなり、両端は短くなっている。そのピンの先を指ではじいて音を出す仕掛けだが、なんとも素朴な音がする。音階は独特なトーンに調整してある。ピンの太さもほぼそろってはいるものの、一様ではないのがアフリカらしいところだろう。お祭りなどの時には、人の騒ぎで聞こえないくらいの音しかでないから、少人数で音やリズムを楽しむために作られたのだろうと思う。でも、お粗末な作りのこんな木箱なのにと思えるような魅力的な音が出る。西洋の楽器とは一線を画す音だ。洗練されてはいないが、身近な温かな音。子供の頃、夕刻になると近所の広場にきた豆腐屋さんが鳴らしていた真鍮のラッパの音。僕はそのラッパが触りたくて仕方がなかった。豆腐屋のおばさんが持たせてくれたので、隈無く見たときの感動は今でも忘れられない。少しひしゃげていたが、使い込まれたそのラッパの金属の部分にモザイクの結晶のような模様が浮かんでいたのを思い出す。あるいは朝早く母がまな板を包丁でとんとん叩く音。ストーブにかかった薬缶が蒸気をあげる微かな音。春先の庭に雀が群れてさざめいている鳴き声。広場で子供達が遊ぶ声。マリンバはそんな音の延長線上にある楽器だと思う。あの頃の日本経済も、今から比べればもっと地味なものではなかったかと思う。それでも子供の頃の僕の脳裏には、貧しさではなく、身近な温かさが刻まれているのだ。それは今とは違う何かが確かにあったからなのだと思う。もう逆戻りできない経済大国になったこの国が、ここに至るまでに失ってしまったもの。人と人との関わりの柔らかさと心地よさ。マリンバを両手に持って親指でピンを弾いてみる。ぽーんという温かな音のハーモニーが心地良い。今度、ホームセンターで材料をそろえて、マリンバを手作りしてみようかなと思いついたら、少し楽しくなった。
 

書けないことについて

 投稿者:山本 洋  投稿日:2009年 2月11日(水)17時59分20秒
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  新しい年になってしまった。今更ながらと思われるむきもあるかもしれないが、2.7に 藤沢のLongToneCafeと言うこぢんまりしたカフェでアコースティックライブをやった。録音を聞いてみたが、アコースティツクギターの音がきらきらしていてなかなかよかった。十数人も入れば一杯の、小さな店だが、飲み物は殆どがワンコインで飲める。食べ物は、空腹の人は他で少し食べてきた方がよいかも知れないが、値段は殆どワンコイン。ポップコーンやチーズなどの乾きもの主体。だが、マスターの北村さんはなかなかの腕前のミキサーだ。歌っていて気持ちがよい。
 話は変わるが昨年一つの小説をやっとの事で終わりにした後、息切れがして、なかなか次に踏み出せないでいる。腹案はいくつかあるにはあるものの、それも怖くて書き出せない始末だ。どこまで小説を書くことと無縁でいられるかなどとうそぶいて、痩せ我慢してみたら、なんとこれが楽でなかなかよいのだ。むしろその心地よさにこそ、不吉なものが潜んでいるような気がして、ますます怖くなり、どうしたらよいのかと考える始末。自分が日々俗物化していくような気がするといったら、自分を買いかぶりすぎているのだろうか。とにかく空虚なまでに楽になっていく自分がいることに愕然としているのだ。これまではそんなことはなかった。どんなときにだって小説を書くことがトラウマのように自分に付きまとっていて、どこかで必ずストーリーや言葉を練っていたものだった。と言っても大したものが書けた試しはないのだが、とにかくそこに没頭できる自分に坐りの良さを感じていたことは事実だった。しかし、今の坐り心地の悪い心地良さはいったいなんだろうと考えてみる。文藝春秋を買ってきて、芥川賞をとったばかりの津村記久子氏の小説「ポトスライムの船」を読んでみた。なかなか面白く引き込まれてしまった。大した事件があるわけではないが、今の若い世代の人間模様から今の世界のありようが浮き彫りにされていて面白く読むことが出来た。選者達の批評を読んでみた。東京都民の金を集めた銀行を破産寸前に追い込んだ石原慎太郎氏が褒めていることには抵抗を感じはしたものの、他の選者はほぼこの作品には好意的だったような気がする。人は生きていくためには金がかかるものなのだ。それは、一人一人が一生懸命に自分の大切な時間を使って、働いて得たかけがえのない代償なのだが、今の時代はそんなかけがえのないものを横から掠め盗っていく詐欺まがいが横行しており、民営化されたばかりの郵政事業団までが、国民の金をつぎ込んだ宿舎をたたき売りよろしく不正の匂いがぷんぷんするしかたで不動産業者に譲ろうとしたと新聞に書いてある。官も民も私も腐れ切ったこの世の中にストレスを感じない者は、むしろ詐欺師当人だけだろうと思えるほどだ。こつこつ必死になって生活のために働いているこの小説の登場人物のような市井の民がいる一方で、その尊ぶべき行為をいよいよ墓穴を掘る行為にすり替えている輩がいるのだ。市井の人々は些末なことに追われ続けるストレスですっかり周りが見えなくなってしまい、お互いに信頼し合うことを忘れかけてしまっているのだ。
 話を元に戻そう。そんなわけで、小説を読むことは面白い。書くことだけが辛い。しかし、書けなくなってもっと空虚が広がるのが恐ろしい。この坐り心地の悪い心地良さの正体は、自分とすら向き合えなくなりつつある怠惰の居心地良さではないのか。自分までが、この末世に合わせて堕ちていくのは哀しい。
 

防滴CDラジオ

 投稿者:山本 洋  投稿日:2008年12月 6日(土)22時42分16秒
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                     防滴CDラジオ

 家電品が壊れはじめた。今の電化製品は十年持てばよいように作られているというから、十四、五年使っている我が家の電化製品は比較的持っている方なのだろうか。まずは、エアコンのリモコンが壊れた。台所と二階のリビングと一緒に室外機を使っているマルチエアコンのリモコンの液晶が気づくと真っ黒になっていた。しかも、二台とも風向調節が利かず、下を向きっぱなしになっているから、仕方なく、ガムテープで上向きに押さえて使っている。これはまだ使えるからよいとして、次には冷蔵庫。夏の間に壊れたらしく、全く冷えない冷蔵庫の中は、肉の腐ったようなにおいが充満していて困った。氷もできず、製氷室が水浸しになっていることもあった。電源を抜いて入れ直したり、急速冷凍のスイッチを何度も押したりして急場をしのいだが、やはり壊れた。次は洗濯機。休日の度にキュルルーというベルトがすれているような大きな音が響いた。時々脱水が効かなくなり、水浸しの衣類を物干しに干したこともあった。でも、これはどきどき使えるから、取り敢えずだましだまし使い続けている。次は、屋根に乗っているソーラーパネルから、水がひっきりなしに落ちているのに気づいた。それで、メーカーに電話して見てもらったところもう直らないと言う。一度にこんなにもいろいろなものが壊れると出費も相当なものになる。仕方なく一つ一つ買い換えていくことにしたが、ソーラーに直結していた給湯釜まで替える羽目になったときには正直焦った。取り敢えず、嵐のような壊れ物にも一段落ついて落ち着いて見ると、今まで風呂にはいるときに聴いていたはずのラジオの音がない。台所と風呂のリモコンに付属していた風呂用防滴ラジオで、スイッチ一つで選曲でき、なかなか感度もよく、台所と風呂で頻繁に使っていた。替えるときに業者にラジオ付きはないかと聞いてみたが、今は風呂のラジオははやらず、製品がないのだと言われたことを思い出した。テレビはどうですかといわれて、テレビがあまり好きでない僕は「それはいい」と断って残念に思っていたのだった。仕方なく、デパートに行った折に防滴ラジオを探してみたが、なかなかそうした製品でいいものが見つからなかった。980円で、お風呂用ラジオを見つけたときには思わず買ってきてしまったが、いざ、電池を入れて聞いてみると感度が悪く雑音がひどい。風呂場に設置するといっそうひどい状態になってしまったので、すぐに返してしまった。それ以来、風呂用ラジオのことは、どこか気にかけながらも、ラジオの聴けない風呂を味気なく感じ続けていた。
 そして、つい先日出張で町田に行った折にリサイクルショップでついに防滴ラジオを見つけてしまったのだった。メーカーの名前は聞いたことがなかったし、「防滴」ではなく、「防摘」と書いてあるところが、はてなと感じるところだったが、店員に断って見せてもらうと、なかなかしっかりしたもので、CDまで聴けるらしい。AC電源アダプターが欠品ということで、新品なのに2900円だった。中国製というのが気になったが、電池を入れて聞けばいいかと思い、買って帰った。早速今日からラジオの聴ける風呂に入れると楽しみにして、パッケージを開けてみた。説明書通りに蓋を開けてみると、なるほど付属の電池を入れるようになっている。電池を入れてスイッチを入れてみようと、スイッチを探したが、本体のどこにもスイッチらしいものはなかった。説明書をもう一度見ると、次の頁に「CDラジオソケットにCDラジオ本体を入れてください」と書いてある。CDラジオ本体とはなんだろうと見てみるが箱のどこにもそんなものは入っていなかった。つまり、この製品は、本体と電源アダプターが欠品の、ただの入れ物だけの製品だったということがわかるにつけて、身体から力が抜けていった。その無念を、買ってきた店に電話で告げたところ、若い女性店員が、そんなことはうちはよくありますと言った軽い調子で、少し笑いさえ含みながら、「あーら、ごめんなさーい。本体探してみますから」と屈託なく言った。少しして、「同じ製品見てみましたが、やっぱり本体がないですね。これじゃあ、製品じゃないですね。しょうがないですね。ごめんなさーい」と他人事のように言われたときには、こちらが期待過多だったことがかえって恥ずかしくなってしまった。この手のリサイクルショップは最近いろいろなところに出来ているようだ。そうしたところで掘り出し物を見つけると嬉しくなるのがここのところの僕の癖だった。最近では、ダイヤトーンのスピーカーDS77Zを破格値で売っているのを見つけて、家にあった古いものをその店に売って、すぐに交換した。音は前のものよりはるかによく満足している。店を見て回ると一昔も二昔も前のいろいろなものがそうした店には並べられていて、懐かしい気持ちになるのだった。子供の頃に欲しくて買えなかった、ラジカセやラジコンカーなどが、無造作に並べられていて、それらは買わないまでも見ているだけで、時代の推移を見ているようで面白いものだ。とにかく店の人も半信半疑のそんな製品が並べられているところが、リサイクルショップの面白いところだ。そこには、子供の頃に見た縁日などの見せ物に通じるいかがわしさがある。ウエハースのお菓子のようなもので掬う「亀すくい」。たまに取れた子供がアマゾンのミドリガメを店の怖そうなおじさんにもらっていくのを羨望の目つきで友達と見ていたときの、あのどきどきするようないかがわしさだ。膏薬売りが指名する子供の頭に塗られた膏薬の上から煙が出て、「はいこれでこの子は天才になりました」なんて言うのもあった。後で考えればどの子供も近所では見かけたことのない子供で、おそらくテキ屋の息子かなにかのサクラだったのだろう。そうしたいかがわしさが最近はすっかり排除されてしまって、居場所を失い、目の前にはきれいな「正しさ」ばかりが強調されてひしめき合っている 。その「正しさ」のようなものも、裏返せば、押しつけがましい悪質なまがい物だったりする。始末に負えないと言う点では、こちらの方が害が多い分罪深い。縁日は、インチキと隣り合わせたパフォーマンスで、そんな世界があってもいいじゃないかという暗黙の許容に上に成り立っていた。今では、その許容がすっかり許されない世界になり果てて、息もつけずにいる子供達の前で、正しさを装った奇妙な詐欺事件まがいが横行する始末である。インチキを排除しようとヒステリックになればなるほど、人々はストレスをため込み、ますます悪質なインチキがまかり通る世の中に変わっていく。
 今僕が手にした、防滴CDラジオなど、「面白いではないか、こんなものがあっても」というリサイクルショップのいたずらなバラエティーの一つに思えて、風呂に入りながらラジオを聞きたいという僕の期待は裏切られても、それほど傷つくことはない。勿論、若い女性店員さんは僕の買ったCDラジオを着払いで送り返してくれれば、代金は書留でお返ししますと約束してくれたから、僕には損害は全くないのだが。
 

オンボロ自転車のすすめ

 投稿者:山本 洋  投稿日:2008年11月16日(日)23時18分32秒
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                  オンボロ自転車のすすめ

 この頃は、ガソリンの値段に振り回されたせいか、車で移動するのが何となくだるくなり、余程遠くでない限り晴れていれば移動には自転車を使うことにしている。自転車はいろいろなものが見えて楽しいし、少し立ち止まったり、戻ったりするのにも適している。僕は、走りながら、見たことのない植物や樹木に出会ったり、少し洒落た人の家の庭先などを、怪しまれない程度に覗き見させてもらっている。使っている自転車は、ブリジストンのMTB仕様の赤い自転車だが、買ってから、もう十年近くになるのだろうか、ハンドルは錆だらけだし、タイヤもでこぼこの激しいMTBのものなのだが、地面に着く部分は殆どすり切れてしまってつるつるになっている。しかし、この自転車は不思議とパンクしない。今まで修理したことがないのだ。空気は頻繁に入れているが、これといった本質的な故障がない。18段変速だった変速ギヤの、前の三つのギヤーの変速機は、買って三年目くらいで、突然折れてしまったから、故障がないわけではないが、それでも修理はしていない。自分でその機械を取り除いただけで、ちゃんと走っている。サドルが雨風に晒されたせいかビニールの部分がはげて破れてしまい、下地のウレタンも、痛んで割れてしまったから、布ガムテープでぐるぐる巻きにして、百円ショップで買ってきたサドルカバーを被せて乗り続けている。茅ヶ崎のアジアコーヒーにコーヒーや缶詰を買い出しに行くのは、月に一度の楽しみになっている。この店にたどり着くまで、いろいろなものに目を奪われる。たとえば、途中にある中古の楽器屋でギブソンのレスポールの60年代オールドを見てみたり、赤玉の地卵を買ってみたり、帰ってから楽しもうと、魚屋でつまみ代わりの小アジを買ってみたり。これは買わないのだが、骨董品屋で古い時代の薬瓶やガラス食器に見入ってみたり、自転車に乗っている故に寄り道もますます多くなってきたような気がする。手広の古本屋に行くのも、ハードオフで安い小物を買いに行くのも自転車である。とにかく晴れていれば自転車は楽しい。夏が終わって、秋を通り越していきなり冬になった感じのするこの頃は、冷たい空気を頬に感じながら走るのも楽しい。しかもこの自転車、鍵をかけるのも面倒くさいので、そのままどこかに立ち寄って小一時間時間つぶしをしていても、誰からも盗まれることもない。本当に手頃なオンボロさなのだ。僕の友達などは、十万円以上もする何とか言う外国製のロードスターを買って一週間目に、太いチェーン錠を二本もかけてガードレールにくくりつけておいてすらあっけなく盗まれてしまったというのだから自転車ドロは始末が悪い。自転車は車やバイクと違って軽いから持って行きやすいのだ。というわけで、自転車や傘はオンボロなものに限る。傘などは自転車以上に、持っていく人に罪意識がないようだ。僕も今までに何本の傘をなくしたり置き忘れたり盗られたりしただろうか。そのたびに、傘などは公共物にして、どこかに集中して置き場所を設置し、困ったときには利用できるようにしたらいいのにと思ったものだった。突然の雨降りの折りなど、傘こそは必要なときにないことが多い。この頃は、公民館などで、「ご自由にお使いください」と書かれた置き傘を見るにつけ、同じ思いの人が沢山いたのだとほっとする。話は逸れたが、自転車の手頃なオンボロさには愛着もわき、しゃりしゃり音のするチェーンも、自分の物と人のものとが区別できるまでになった。しかし、時々思うことがある。駐輪場に止めて鍵をかけずに、駅に向かうとき、もし、帰ってきたときになかったら、きっとショックなのだろうなと。二つとない適度なオンボロさの自転車にも鍵をつけるべきではないのかと。それで、この頃は出かけたときには必ず、チェーン鍵をかけるようになった。慣れぬ手つきでオンボロ自転車と対照的な真新しいチェーン鍵をかけているときに通り過ぎる人々の視線が、そんなオンボロ誰にも盗られないよと言っているような気がして、はずかしいのだ。時には、チェーンだけが盗まれて、自転車が残っていたら、もっとショックなのだろうなとさえ思うのである。
 

 投稿者:山本 洋  投稿日:2008年 9月22日(月)21時18分19秒
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   夢を見ていた。何度も何度も見た人の夢だった。何度も見るのに、その度にその人は違う現れ方をした。ただ、同じなのは、夢が覚めた後にもきちんと覚えていて、哀しいような懐かしいような気持ちに胸が詰まることであった。僕は、無意識にその人が見た今の自分に恥じないよう生きてきたのだとその人の夢を見るたびに気づいた。その人は正しいということがとれほど難しいのかを教えてくれた。その人は美しいということが時には冷たく刺さるような質のものであることを教えてくれた。その人は時には人は取るに足らないつまらない存在だということも教えてくれたし、自分自身を許してみることも教えてくれた。その人は僕をいつもどこかで脅かし、励ました。そして、自分がこんなにもちっぽけで、うすのろで、間抜けで、みっともない人間だということをその人を介して知ることができた。でも、その人はいつも、ずっと先を歩いていた。夢の中なのに、いつもその人は同じ距離を保ち続けたまま、僕の先を歩いていた。僕は、その人の後を追うことで、その人から離れてしまうことを知りながら、どこまでも歩き続けた。その人の夢を見ると、いつも残るのは切なさと悲しさばかりだった。そして、その人だけは、僕のようにこんな気持ちでいることはないのだという確信が僕を苦しめた。それは、現実の世界のことではなく、夢の世界だけに、とりとめのない悔しさのような、後ろめたさのような、そうであるが故の確実さのような、不確かな決意を僕に植え付けた。時には自分の存在が数十億光年の距離を超えてきたもののようにも思えたし、レプトンやハドロンのような果てしなく微細なものに収縮してきたもののようにも思えていた。そんな事の中で、僕は苦しみや喜びを一通り計算通りに繰り返し、いつしか自分が帰って行くであろう空を見つめる事にも慣れてきた。やがてその人が、僕の悲しみよりやや大きな原子に分解して空気の底に沈殿していこうとする頃、失われた僕の思惟は、更に届かない切なさをやはり、限りなく小さな無となって感じるのだろうか。  

川沿いの道

 投稿者:山本 洋  投稿日:2008年 9月17日(水)21時46分50秒
返信・引用 編集済
   川沿いの道を走っていて、しみじみ思うことは、河の水がきれいになったということだ。月に一、二度、時間があるときに、約10kmの道を走る。川の底がはっきりと見えていて、鯉が何匹も泳いでいるのが見える。季節が一番身近に感じられるのは風の匂いを嗅いだときだ。今はまだ夏の温度が消え残っているような陽気だが、季節は確実に秋に向かっている。田圃に張られた鳥除けの網の上を飛ぶトノサマバッタ。走っている道の脇からそれは飛び立って、実った稲の上に消えていく。鳥除けの網もバッタには無力だろう。そして、時折汗のにじんだTシャツの上から身体を覆っていく風。焦げ臭いような風の匂いは間違いなく秋のものだ。冷たい風の中で、春には春の凛とした香りが風にはある。冬は殆ど汗をかかない代わりに、喉が切れるように痛い。冷たい風の匂いは冬は無色に近い。この夏の間は、日差しにやられてはとトレーニングルームのベルトの上で二十分走ってすませていたので、久々の10kmはきつく感じる。日差しも夏ほどではないが、まだ衰えていない。木陰のひやりとする空気が心地よく、日陰寄りに走るから、犬の散歩の人たちとかち合ってしまう。往路の折り返し地点は藤沢北高のあった場所。今は消防署が土地を管理しているが、高校の建物は未だにそのまま残っている。そこで25分を過ぎていると少し気持ちが焦る。調子のいい時で50分くらい。普通は53分前後で走り終えているからだ。帰りは田圃のあぜ道沿いの日陰を走れると思うと嬉しくなる。真夏以外は日陰がこれほど有り難いと思うことはそれほどないような気がする。そのコースで時々知り合いに会うことがある。メタボ対策で散歩しているHさんや、前の職場で同僚だったSさん。犬を連れたSさんは、会うと必ず小さな声で、「ファイト!」と言ってくれるので嬉しい。汗が目に入り、景色が滲む中、市場下のグランドでは少年野球の選手達とその親たちが四季を通じて、野球を楽しんでいる。夏の間近く感じていた青空が遠く感じる。最後の横断歩道を渡って全力疾走。わずかな登り坂を曲がって下れば家だ。家では、子供と妻が、二人でひそひそと朝食をとっている。ぜいぜい息をつきながら、庭の蛇口の水で顔を洗う瞬間が一番幸福なときだ。軽く口をすすぎ、シャワーで身体を洗って朝食。走るということは運動の中ではとにかく一番疲れる。それに関わるあらゆる事が有り難く感じられるのが、今まで走ることをやめないでいる理由だろう。7年前に友達に湘南マラソンに出ようと誘われて、5kmから走り始めたのが最初だった。走り終えると友人達と自分にご褒美のビールで乾杯した。一番元気だった一人は癌で他界してもう二年になる。他の友人達も体の不調でリタイアし、気づいたら、自分で設定した川沿いのコースを一人で走っていた。コースの景色がきれいなのも、続いている理由の一つなのだろう。時々走っていて思うことがある。自分がこうして走っているのを空の上から見ている自分がいるのではないか。そして、僕にもその時が来て、この道を走る人が一人いなくなり、また、新たに走る人が出てくる。走り終えて水を飲むときの心地よさや、顔を洗うときの爽快感。汗を流し終えた充実感と倦怠感を次の人たちもその次の人たちも、同じように感じ続けるのだろうなと。そして、もう自分の走っていないその道を、遠い空の上から見ている自分が存在するような気がするのだ。桜の咲く季節にも、ススキの揺れるときにも、木枯らしの吹く季節も、その景色を遠い上から懐かしい気持ちで見つめている自分がどこかに存在しているような気がしてならないのだ。  

無常と相対性原理

 投稿者:山本 洋  投稿日:2008年 9月11日(木)21時17分58秒
返信・引用 編集済
  ふくちゃん様
久しぶりの書き込みありがとうございます。
漫画が今よりもっと夢があった頃が懐かしいですね。



ここからエッセイです。

「無常と相対性原理」
 形あるものは、永遠にとどまることがない。これは、万物の摂理であり、真実でもある。
方丈記の鴨長明も、徒然草の兼好法師も、ボブディランも、その他多くの哲学者や物理学者や識者達が、口をそろえたようにその真実を伝えている。しかし、人はそれを悲しく思い、永遠の魂とか永遠の誓いとか言って、形のないもの、実証できないものを永遠の根拠にしたがる傾向がある。そういえば、アインシュタインの相対性原理の公式E=MC二乗も、万物が永遠にとどまることがないことを実証したものといえるのかもしれない。光の速度を越えることができるものは存在しない。もし、越えてしまうものが現れれば、時空を越えることができてしまうことになるのだという逆説が、SF映画にもなって、むしろその方が僕らの感覚には親しみやすい事にもなっている。少なくとも現段階では、光の速度を超えられない人類も、動物たちも、昆虫も、空に輝く星達すらが、時間とともに年を取り、やがて滅び去っていくのである。星は消滅の前に美しく輝くと言うが、人は消滅の前にはただ干からびていくだけに過ぎない。命あるものも、万物も有限のものだから、その生ある間はせめて美しく花咲かせようと誰しもが願って生きてきたのだろう。命はいくら長くてもそれでいいかというと、そうでもないようだ。百分の一秒に一生を掛ける陸上の選手やレーサー達も、長寿でギネスブックを塗り替えた人も、その共有している時間は同じもののはずだ。では、何が違うのだろう。それは時間の質だ。どんなに長くても短くても、その時間はその人だけによってアレンジされている。だから、その質が問題になってくるのだ。一瞬に全てをかけた人は、そこに凝縮するように集中しているから、その周囲の時間も、自然とその瞬間を飾ることになる。長く生きた人は、一秒一秒を大切に生き、それはそれでその長さが命の証になる。ともかくも、我々人類も動物も昆虫も、そこに関わるあらゆる環境も、全てが一定の時間のリミットの中で存在を許されている。逆に言えばそれが生きているということなのかも知れない。生物というものの定義が、自己増殖するものだとするのなら、遺伝子は、増殖のなかで生き続け、健気にも無常の法則に逆らおうとしているのだとも言えるのだろう。にもかかわらず、最後の時はやってくるのだ。この世で死んで楽になった生き物は、あの世で死ねない苦しみを永遠に負わされるとは仏教の考えだが、とりあえず、形ある生命は死ぬことでピリオドとなる。死んでしまえば、かわいい子供の柔らかな頬に触れることも、辛い仕事で苦しむことも、友達同士で笑い合うことも出来なくなるのだ。この世のあらゆる物理作用にも関与することが出来なくなる事が死と言うことなのだと思う。たとえば墓の骨壺の中で骨が酸化していく化学変化に参与することはあっても、それはもう物になってしまった後のことだ。このことに結論じみたものはない。ただ、それだけのことを事実としてどのように自分の生き方に生かすのか。それとても、ただのあがきに過ぎないものなのだけれど。
 

(無題)

 投稿者:ふくちゃん  投稿日:2008年 9月11日(木)21時16分20秒
返信・引用
  初めて投稿させていただきます。石森章太郎先生の009。そして、手塚治虫先生のアトムや火の鳥。懐かしいです。私も、それらのコミックが全盛の頃青春時代を過ごしました。雨宿りでタイムスリップなんて素敵ですね。  

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