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スレッド一覧

  1. 小説について、音楽について、バンドについて語るスレ(0)
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雑感13

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月20日(水)22時46分42秒
返信・引用
   ハンナ・アーレントは「全体主義の起源」の中で、ナチスに巧妙に操作されたドイツ人の心理について、こう書いている。
「全体主義運動は(略)一貫性を具えた嘘の世界を作り出す。この嘘の世界は現実そのものより人間的心情の要求にはるかに適っている。ここにおいて初めて根無し草の大衆は人間的想像力の助けで自己を確立する。そして、現実が人間とその期待にもたらす、あの絶え間ない動揺を免れるようになる。」「全体主義組織では、嘘は構造的に組織自体の中に、それも段階的に組み込まれることで一貫性を与えられている。このヒエラルキーもまた、秘密結社における奥義通暁の程度によるヒエラルキーと極めて正確に対応している」

 国民よ、目覚めよ。いつまで、レベルの低い排外主義や拝金主義に惑わされているのだ。最後にひどい目に遭うのは「あなたたち」も含めた「私たち」国民だ。希望を持とう。理想を持とう。人と人はお互いに寄り添い助け合って生きていかなければならない。力を合わせれば、人の力は、何倍にもなって効果を生む。地球レベルで環境や未来の危機が問われている時だ。お互いいがみ合っている場合ではない。力を合わせよう。疑心暗鬼や不安を煽られて、分断されるのではなくて、その奥に潜む悪意を読みとろう。そして、にこやかに世界中の人々と手を取り合って生きていこうではないか。
 
 

雑感12

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月20日(水)22時27分34秒
返信・引用 編集済
   国民はどれだけ馬鹿にされたら、声を上げるんだ?  いや待て、国民の中には、そんな国民を監視してお上に告げ口したり、体制に反対する言説をピンポイントで汚い言葉を使って攻撃し、潰して金をもらっているクズ達がいる。
 ん? 待てよ、これはもう戦前じゃないか。最近田舎の市町村で訓練と称して行われている北朝鮮のミサイル避難訓練。これも戦前か? 危機を煽って憎むべき敵を作り、その憎悪を利用する手口、同じだ。日本を壊滅させるためだったら、まず原子力発電所を攻撃するだろう。それなのに、原発周辺の避難や対策は講じられず、ただミサイルが飛んでくるからJアラート? なんじゃこりゃ。なんだか頭の悪い馬鹿殿に引っかき回されている家来達の慌てぶりを見せつけられているようじゃないか。戦前の威張り散らしていた憲兵や特高警察に対しても、みんな同じことを考えていたのに、治安維持法や国家総動員法で何も言えなくなっていた。あの反省はどうしたんだ。そうだ、携帯電話やインターネットが、お互いを監視している。その先にいるのは、国の言うことに従わない奴は非国民だと潰しにかかる日本会議や金で雇われた潰し隊の連中、またはそれすら知らないネトウヨという戦前の隣組の奴らだ。国防婦人会もいる。
 ナチスナンバー2のヘルマン・ゲーリングは第二次大戦後の戦犯裁判で言った。「戦争をしたいと思う国民はいないが、政府に国民を従わせるのは簡単だ『われわれは外敵に攻撃されている』と叫び、平和主義者を『愛国心に欠け、国家を危険に晒す連中』と決めつけるだけでいい。この手法はどの国でも有効だ」と。
 

雑感11

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月19日(火)14時24分13秒
返信・引用 編集済
  その格差を再分配することで、貧困の側の不満を取り除く仕事をしなければならないのが、政治の仕事なのだろうが、今の自民党・安部政権はそんなことは元々眼中にない。国民に株に手を出してもらい経済を活性化させる。国民の財産である年金にまでも株投資を25パーセントも上乗せして、つい最近三兆円もの損害を与えているにもかかわらず、その対策は何も取らない。東京電力が、復興のためと称して、電気料を値上げして、自分たちの責任を棚上げして国民に負担を被せているのと同じ論理である。今の為政者は損をしない。なぜなら、全てのシステムを自分たち中心に動かしているからだ。その結果、自分たちにすり寄ってくる者達には限りなく甘く、批判する者には、汚い策略を使って印象操作をし、徹底的におとしめるのが、彼らのやり口だからだ。それは前川喜平前文部事務次官の加計学園問題のニュースでも分かるとおりである。
 そんな中でまた飛び出してきたニュース。朝日8.25朝刊、東電、原電の債務保証検討? 福島第一原発の事故対応が最優先であるはずの東電が、原発専業会社の日本原子力発電の資金繰りが行き詰まっているために金融機関からの借金を保証して支援に乗り出す案があるという。今のところこの記事は朝日しか書いていない。はぁーっ? だね。東電は原発の事故処理の必要から存続を許されている立場なんじゃないのか。いつの間にそんなに余裕が出てきたのか。要するに行き詰まっていなかったんだから、値上げした分の電気代は国民に返しなさいよ。そういう話が本筋なのではないだろうか。今の世の中、政府寄りで、力さえあれば、どんなに国民にとって不条理なこともまかり通ってしまうのだ。ジャーナリストの詩織さん強姦犯人のTBS記者山口敬之でさえ、大きな新聞は何も書かないでもみ消しをはかっている。被害者が顔出ししてまで、被害を訴えているのに安部の近くにいるというだけで、警視庁刑事部長の中村格が逮捕を覆してしまったのだ。こんなのありか?
 

雑感10

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月17日(日)04時24分15秒
返信・引用 編集済
  尻馬乗りたちは、その場限りの優越感を満足させられればよく、その結果が自分たちの身に降りかかって窮屈な社会を形成してしまうことなどには考えが及ばない。なぜなら、窮屈な社会になっても強者の尻馬に乗っていれば安全だと思っているからである。そもそも、そのような人間が信用されるだろうか。いつまでも愚かな者達である。
 悲惨な戦争における一兵隊の心理を深く描いた、大岡昇平の「野火」の一説にこんな所がある。時代背景は、朝鮮戦争時、アメリカの日本への対応が変わり、それまで軍備を持たせなかった政策から、日本の立地を考えて、世界戦略の基地としての日本を捕らえ始め、日本再軍備の必要から警察予備隊が結成されるに至った、そんな時代背景が、今日の日本の状況と似ている。
「この田舎にも、朝夕配られて来る新聞紙の報道は私の最も欲しないこと。つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君はそれが利益なのだから別として、再び彼らに欺されたいらしい人達を私は理解できない。恐らく彼らは私が比島で遇ったよえな目に遇うほかはあるまい。その時彼等は思い知るであろう。戦争を知らない人間は半分は子供である」
 ヒャルト・V・ヴァイツゼッガーの言葉に「悪を名指しにするのではなく、われわれをつなぎ合わせる代わりに引き離しぶつけ合う『弱さ』が問題なのです」というのがある。
 現代日本の構図として、この言葉は当てはまるのではないだろうか。つまり、経済格差のおかげで大多数の貧困と少数の富裕か生じた。江戸時代に穢多非人という階級を捏造して最下層と位置づけることによって差別させ、貧困な農民達の不満を下層の存在にぶつけさせたあの制度と同じことが現代にも起きている。人間は弱い生き物である。しかし、その弱さに思い至らないものは危険である。身分階層からさらに韓国・朝鮮国籍、中国国籍、イスラム、難民、障害者という階層をつくりあげて、駆逐しようとするその短絡的で危険な流れである。在特会という川崎の朝鮮ヘイトスピーチの代表は、過激な排他的言葉を韓国・朝鮮国籍の人たちにぶつけることで、周囲の困窮者の同意をとりつけている。本来は手を結び、信頼し合うことによって強まる国際間の絆も、ここではずたずたに分断され、お互い憎み合うことしかできない。戦いしかその先に見えてこない閉塞状況に追いつめられている。その原因は何か。ズバリ貧困であろう。貧困は戦争を生む。
 

雑感9

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月16日(土)18時57分40秒
返信・引用 編集済
   人の心は移ろいやすい。日本人は明治時代からこの「世間」に縛られて生きてきた。出典は忘れたが、太宰治の名言「世間とはおまえのことだろう」という言葉が象徴するように、日本人は根拠のない「世間」を基準として生きてきた。時には、「自分の意見」を、さも多数の常識人がそう言っていると思わせるためのトリックとして、ある時は、自分は違うのに、そうせざるを得ないということを弁解がしく表明するための方便として、「世間」を利用してきた。志賀直哉ら近代の文学者が戦ってきた「家」という制度は「世間」でもあった。そして、戦争中は「世間」という監視体制によって、お互いを監視することで、ファシズムという大きな力に靡き利用されてきたのだ。つまり、俗物たちが利用し、追随してきた背後の大きな力によって、戦争中、死なずに済んだ多くの人たちが亡くなり、戦後は俗物達の寄って立つ自民党の一党支配によって、権力を縛るはずの憲法までが歪められてしまいつつあるということである。
 大きな強い者に寄り添っていれば自分たちは傷つくことがない。これは、子どもの頃から、人々に身に付いている処世術のようなもので、それが学校時代は苛めという形で少数者を傷つけ、社会では差別や偏見を醸成してきた。多数に所属していればいざ問題が起きて、追及された時も「僕じゃない、私じゃない」と言い逃れしやすい。(だから、未だに日本では、戦争責任を誰が負うのかが謎のままであるばかりでなく、本来責任を問われるはずの戦犯といわれる人たちが、政権に返り咲いたりした。)現代の社会もほぼこの論理によって実体としては成り立っていると見て良いだろう。「尻馬に乗る」という嫌な言葉があるが、誰か強い立場の者が弱い立場の者を攻撃している時に、強い者の背後から嵩にかかって追い打ちをかける類のケチな人間のことである。ところが、尻馬に乗っているつもりのケチな人間たちは、自分の明日が見えていない。尻馬に乗っているつもりの彼らを強い立場の者は考慮に入れていない。明日攻撃され、行き場を失うのは、奴らなのだ。なぜなら、一部の強者、(この場合は財閥や経団連と言えばわかりやすいかもしれない)は自分たちの利潤の追求のために都合の良いシステムを作り上げて、(自民党を中心政権につけて)そこに「世間」という御用マスコミ(新聞・テレビ・ラジオ・インターネット)を介在させ、宣伝して、それが大多数の「正義」であると大風呂敷を広げているからである。尻馬乗り達にはその実体が見えていない。少数の選ばれた経済的強者は、多数の経済的弱者から吸い上げることによって成り立っているのが資本主義経済であることを知っているので、多数の弱者の一人に過ぎない尻馬のり達からも吸い上げているのである。
 

雑感8

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月15日(金)07時29分39秒
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  いったい人は他者に評価されるために存在しているのだろうか。確かに、会社に行けば人事評価があり、学校に行けば成績評価がある。人は幼いときから、この評価と共に生かされてきた。だから、評価を気にして生きることが身についてしまっている。しかし、他人の評価が自分の実質に届いているかといえば、そうではないと考える人は多いのではないだろうか。評価は、ある目的で、その人をその目的に添った側面で判断し、他者と比較することによって成り立つ。だから、ある面では特に目立たなかった人が、別の面では際だっていると言うことも出てくるし、それは当然のことなのである。しかし、その基準はどこからやってくるかといえば、それは、その組織の生産性であったり、将来性であったり、社会適合性であったりと様々だ。しかし、そこには予想もできない未知の基準というものは当然のことながら入ってこない。
 世の中が変化する時には価値基準が変わる。それまでの価値基準ではうまくやっていけなくなったとき世の中が変わると言ってもよい。そんな時の基準は、それまでになかった基準なので、まず周囲は理解を示さない。いわゆるマイノリティーの論理であるからである。俗物はその変化の流れを止める。しかし、時間は止まらずに進み続ける。マイノリティーの論理は次第にマジョリティーに取って代わる。そうしてコペルニクスやアインシュタインが生まれた。そうなのだ。常に世界は多様な基準をランダムに用意している。その多様性をそれぞれの視点から冷静に判断し、取捨選択していく中に、発展が生まれるのだ。だから、その多様性の一つのパターンと考えれば俗物の存在も不必要ではない。ただ、変革の後にも俗物は視点を変えて、また多数派の中に紛れ込むのである。柔軟性があって逞しいといえば言えないこともないが、節操がない。しかも自分でもそれが分かっていない場合が多い。戦前に熱く国粋主義を説いていた教師が、戦後真剣に民主主義を語る類である。俗物はその変わり身に罪を感じない、というより、自分がそんな風に変わってしまったことにすら気づいていない。なぜなら、彼の基準は「世間」だからである。
 

雑感7

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月14日(木)07時31分22秒
返信・引用 編集済
   俗物といわれる種類の人たちがいる。僕も充分俗物なのには違いないが、その人達の判断や発言の基準は全て世間が物差しとなる。何か行動を起こすときに世間がうるさいからといって、表だって人に非難されそうなことには参加しない。目立った行動はしない。価値基準が世間体でできているから、波風を立てることが嫌いである。面倒だからという気持ちは勿論僕にもある。しかし、面倒ではすまされないことだって世の中にはあるし、間違ったことが横行すれば、「王様は裸だ」と表現することだって必要な時はある。俗物はそれをしない。面倒だからではなく、「世間」の価値基準に合っていないからである。では、「世間」とは何かといえば、実はその実体はない。大多数の人々が何かの力で動かされているとき、その方向を守り、絶えず多数派の優越感を感じ、安全を選び、時にはマイノリティーを蔑むことに快感を感じる感性の持ち主が俗物である。特に最近は、一旦弱いと判断すると、そこにねらい打ちのように非難を集中させて、普段から蓄積させてきたストレスの溜飲を下げようとする不寛容者達だ。しかもそう言った俗物性が自分のストレスを増加させていることにすら気づいていない。つまり、大きな通りで、大多数の人が同じ方角に向いて歩いているようなときに、自分の行き先は異なると人の列をかき分ける者を排除しようとする人たちである。また、俗物達は常に自分の評価を気にしている。実体がない自分に形をもたせようと言うわけだ。彼等はイソギンチャクや藻くずで自分の殻を大きく見せるヤドカリに似ている。権威や権力、名誉といった「その場しのぎの」価値観にはすこぶる反応が早く、そう言ったものの「威光」を自分の実体を飾るための後ろ盾にさりげなく利用する。  

雑感6

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月12日(火)07時03分49秒
返信・引用 編集済
  以前は道がよく分からず、サンマルクの前から入って、坂道を二つ越えなければならなかったが、最近近道を見つけて、一つだけ坂を越えればよいことも分かった。開門と同時に館に入って、まず朝日新聞と東京新聞を読む。そして、午前中の執筆。(それまでは、午前四時に起きて、まず執筆というように、自分を追い込むようにして書いていたが、がつがつする必要もなくなった今は、五時起きで鵠沼の畑作業をすることからはじまる。)昼食を挟んで午後からの読書。それがほぼ毎日続く。今までは休日は家でまったりとしていたのが、土曜日までも図書館に来ている。ここで、自分の書きかけた小説や新たに構想した小説を書き上げていく時間は実に楽しい。思うようにはいかない苦しさは当然あるが、そんな苦しみも楽しさの一つにあげられる。そして、読書をじっくりする時間に、やっと自分にもこんな安らかな時間が訪れたのだなと実感する。そして、三時になったら帰る。家に着いたら、干してあった洗濯物を入れ、タオルを畳んでおく。そして、風呂に入って一日の汗を流す。日が明るいうちの風呂というのもなかなかいいものだとこのころ漸く分かってきた。六時過ぎ女房が帰宅し食事。息子はこの頃遅くなることが多くなり、九時頃食事。帰ってからは読書はしても執筆をすることはまず無い。そして、一日おきに缶ビール一本、(あるいはワインか焼酎かウイスキー)の贅沢をする。テレビを見ることもあるし、録画しておいたコズミックフロントやニュースで英会話、百分で名著を見るかして、就寝。そんな毎日である。その間に月2回のバンド練習が入ったり、月に一度の辻堂図書館での宮原先生の小説教室、渋谷の弁護士事務所での霧海先生の俳句教室、週に一度はトレーニングルームで筋トレ、隔週で三つ属しているテニス、約10キロの川沿い、あるいは皇居のランニングなどが入る。なかなか充実しているが、働いていた頃のような日々追い立てられるような切迫感のない日々である。こんな平和な日々が続いてくれればよいと願う。  

雑感5

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月11日(月)13時01分19秒
返信・引用
  これまでの生活を整理すると、東京に勤める息子が一番早く、七時に家を出る。次に女房が八時になってひよっこの主題歌の桑田佳祐の声が聞こえると慌てて出ていく。残された僕は、ひよっこを見てから、女房の作ってくれた弁当を持って、図書館に向かう。(時々、時間が無くて干し残された洗濯物を干す作業を頼まれることがある。)図書館も辻堂館は勉強スペースが狭く、パソコン用の電源もない。受験生達も多く、彼ら将来のある若者と席の競争するには忍びないので、辻堂館は×。湘南台総合図書館は施設も蔵書も多く、資料室に席も確保でき、受験生との席も分けてあるので、長居するには最適だが、家から遠く自転車で二十五分もかかる。坂も多い。ということで、一番相応しいのは、大庭市民図書館ということになった。ここの蔵書は多く、環境もとても良い。パソコン室が整っているのも魅力だ。パソコン室は、窓側から図書館の裏庭が見渡せる。樹木の涼しげな木陰の向こうにはゲートボール場があり、老若男女がゲートボールを楽しんでいるのを見ることができる。一仕事して疲れた時の気分転換にも打ってつけのロケーションだった。そして、大庭館の魅力は図書館の司書さんの丁寧な対応にもある。四月に出版した僕の著書と以前オンデマンドで出した著書、母の俳句の本も快く図書館の市民文庫に入れてくれただけではなく、一般蔵書コーナーにも本を置いてくれた。そんなわけで、僕は八時四十五分になると自転車に乗って大庭館に向かう。行く途中の川沿いの道には田圃に挟まれた所があって、稲の成長を感じながら夏の朝の時間にここを通るのは楽しみだった。燕が成長した稲の上を飛んでいく。田圃の脇には用水を取り入れるための溝があって、そこには小さな鮒やクチボソなどの小魚が、僕の自転車の陰に反応して、素早く動くのを見るのも楽しかった。  

雑感4

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月10日(日)09時59分43秒
返信・引用
  僕の場合は、小説を書くことには全く金はかからないし、読書だってまず読み残した本を読んでいるわけだから、当然金はかからない。もし必要なら、図書館で借りれば、やはり金はかからないのだ。
 今日は気分が向かないからと、一日寝ていてもいいし、ぶらぶらと近所を一日散歩するのもいいだろう。天気の良い日に、自分の家の庭でぼんやり青空を見ながら一日を過ごすなんて素敵ではないか。この頃、家で酒を飲むことも少なくなってきた。体脂肪が気になるこの頃は、アルコールを苦しみもなく控えられるようになったことは、よい傾向である。
 趣味の音楽にしても、月に二回程度の平日午前中三時間練習でスタジオを借りても、それほどかからないし、その後、仲間と食事やお茶をしても、安い店を探せば、今はいくらでもある。そのほかの趣味としては、市民農園で農作物を作っているが、年間12000円の農園使用料の他、苗を買うのにそれ相応の金がかかったものの、(トマトの苗ひとつ150円くらい)これからはそれを収穫する楽しみがある。野菜だって買わなければ、金はかからない。釣りに行くのも、湖なら釣り券1300円とえさ代500円とガソリン代くらいのものだ。週末に行くことにしているトレーニングルームも高齢者は240円で済む。
 

雑感3

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月 9日(土)21時53分19秒
返信・引用
  預貯金を切り崩して生活しているのだから、家族にだって迷惑をかけているわけでは決してない。だから、多くの人が僕に言う、どうして働かないのという疑問は、僕から考えると、どうしてそこまでして働く必要があるのと言う質問になる。要するに人に迷惑をかけず、ささやかな自分の趣味をおとなしく実行しているだけなのだからそっとしておいてほしいのだ。僕には僕の残りの人生の過ごし方を決める権利はある。好きな小説を書いて、読書をして生きていきたいと言っているのだから、そっとしておいてほしい。あなたたちに迷惑をかけることはないのだからと。
 無職の生活は楽しい。やらなければならないからと言う義務がないし、お金をもらっているからと言う負い目もなく、時間はすべて自分の意のままになる。明日仕事があるからといって、諦めていた沢山のことが全てできるのである。ただし、お金のかからないことに限られるのだが。だから、お金がかかることが好きな人は定年退職しても仕事を辞めない方がいいだろう。
 

雑感2

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月 8日(金)06時57分24秒
返信・引用
  そのほかにも、俳句や音楽などの趣味、旅行など、やりたいことは盛り沢山だ。しかし、それらのやりたいことがお金を生むことはまずない。定年を過ぎても働く人たちは、年金が出るまではなんとか食いつながなければならないという考えの人が多いと思う。では、年金が出たらどうするかといえば、身体が動く限り仕事をする人が多いのではないだろうか。年金だけで暮らしていくことができないからである。完全に年金生活をしている僕の友人などは、一年に百万円くらいは不足すると言っていた。働く職場があるうちにと考えた上で、健康上のこともあるだろうし、惚け防止のためだという考えもあるだろう。だが、それはそれで僕も否定はしない。働くことが好きなら、働けばよいだろう。僕の場合は、たまたま、その好きなことの中にお金を稼ぐことができないことを選んでしまっただけのことなのだ。だから、正確に言えば、働きたくないのではなく、教員を続けたくない、金の絡んだ仕事をしたくないということである。ただ、一つ言っておきたいのは、大多数の人の選択をすることはたやすく、そうでないことを選ぶのは難しいと言うことだ。つまり、大多数が選択をしている再任用や講師の職にある人たちから、何故おまえは働かないのだと言われると、まるで自分が怠け者のレッテルを貼られたような気になることだ。マジョリティーに属する人たちが、マイノリティーに属する人たちを非難することを世の中では苛めという。苛めは犯罪だ。定年退職して働かないことは、社会に迷惑をかけているわけでも、他の人たちに迷惑をかけているわけでもない。収入がないということで、同居する家族は少しでも収入がある方が安心だろうが、それは家庭内のプライベートな問題でしかない。  

雑感1

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 9月 6日(水)07時32分57秒
返信・引用
   37年間の勤めを終えて、四月から完全無職になった。無職というのは、働く必要がないということだが、無収入であることと同義でもある。殆どの人は、教員の場合は再任用フルタイムや講師、会社員の場合は身分を変えて給料が60%位に減額されて会社に残るなど、社会と接点を持つ選択をしているのに反して、僕がその選択をしなかったことに多くの人は、「どうしてやらないんですか?」と不思議そうに疑問を投げかけてくる。僕はこの三十七年間、この仕事をすることが嫌で嫌で仕方がなかった。でも、家族や子どものために仕方なくそこには目をつぶって働いていたというわけだ。子どもが一昨年、就職して親の保護が必要なくなった時点で、辞めようと思えば辞められたのだが、一応六十という区切りまではと思って生きてきた。そしたら、人々はその後までも、どうしてやらないんですかと言いがかりをつけてくる。三年前までは国の年金は六十歳定年で、基礎部分と二階建て部分が出ていた。だから、働く必要はなかったのだ。それが、僕の年代の頃から、少子高齢化の影響で、予算が足らなくなり、段階的に先延ばしされてきたわけだ。僕の場合は六十二歳の誕生日から、基礎部分が支払われることになる。だから、約二年間僕は全く無収入で暮らしていかなければならない。
 何故再任用をやらないのか、何故講師をやらないのかと言われれば、やりたくないからだの一言に尽きる。それよりも僕にはやりたいことがたくさんあるからだ。まず僕は、今までたくさん書き貯めていた小説を死ぬまでにはすべて完成させたいと思っている。そして、読書。途中で放り出してしまった長編小説をじっくり腰を据えて読むことができるのは、何より楽しい。後何年かは知らないが、残されたわずかな年月の中で、この二つのことをきっちりやるためには、仕事をしている時間はないというのが僕の率直な考えである。
 

物語の効用

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 7月 1日(土)14時13分56秒
返信・引用 編集済
   オオミズアオという美しい蛾を初めて見たのは、小学校低学年の頃だった。その頃僕は、父の会社の社宅の団地に住んでいて、四階建ての建物の一番最上階の部屋が我が家の住居だった。当時、この社宅の周囲にはまだ開発されていない森が多く存在していた。そのせいか、社宅の中庭にある電灯には、夏になると沢山の昆虫が飛んできた。カブトムシやクワガタムシ。一階の子どもが、オオクワガタを電灯の下で捕まえたと聞いて、僕は心震えて電灯の下を見に行ったことを、つい昨日のことのように覚えている。
 僕の虫好きは、社宅でも有名で、同じ社宅に住む人たちが、何か珍しい昆虫を見つけると、僕の所に持ってきてくれた。その中の一つがオオミズアオだった。
 プラスティックの箱に入れられたその蛾は、二階のYさんのベランダにいたらしい。ペールグリーンの美しい色と蛾特有の柳眉のような触角は貴婦人の風格だった。上翅には、茶色い淵がついていて、それがペールグリーンとマッチしている。僕は、親に買ってもらった昆虫図鑑で初めてその蛾の名を知ったのだった。
 カブトムシの胴に生えている銀色に光る細かな繊毛の美しさ。蝉を捕まえたときに、蝉の胴に付着している金色の鱗粉の美しさ。そして、電灯に飛んできたタガメの形のすばらしさ。それらの色や形がどのように配置されたものなのか、僕は子どもながらも、その魅力的な自然の力に魅せられていた。遊ぶもののなかった当時、多くの子どもがそうであったように、僕も当然のことながら昆虫少年になって、近くの野山を捕虫網を持って走り回り、蝶や蜻蛉を捕獲してはそれに魅入っていた。山間の坂道を悠々と低空飛行しているオニヤンマを捕らえたときの胸の鼓動。オニヤンマよりも更に捕らえるのが難しかったギンヤンマをネギ畑で捕らえたときの飛び出すような心臓の高鳴りと興奮。未だにあれほどの感動と比較できる感動を僕はあまり知らない。
 やがて僕は高校の教師となって、教室で生徒に教えるようになった。僕は時々、子どもの頃のあの胸の高鳴りを生徒達に伝えたくて、昆虫との出会いの話を授業の合間に話したこともあった。相手が小学生なら、もっと共感を呼ぶことができたのだろうが、高校生である多くの生徒達は、僕の話を微笑ましく聞いてはくれるものの、僕の伝えたかったエキサイティングな感興は、高校生の彼らには既に過ぎた過去のノスタルジーとして受け取られるだけだった。
 そんなときに、ある微笑ましいハプニングがあった。それは、僕の担当していたクラスでのこと。僕が教室に行くと、教室の雰囲気が妙にいそいそしているような気がした。
 何かあるなと咄嗟に悟った僕は、机の上に置かれた洋菓子の入れられていたような上品な箱に気づいた。僕が箱に気づくと、それを仕掛けた数人の女子の目がきらきらしているのが見えた。僕はそんな期待に答えるべく、その箱の蓋をそっと開けてみた。果たして中には五センチほどの、親指の太さほどもある見事なグリーンの色の何かの幼虫が入っていたのである。仕掛けた女子達を含めてクラスの全員が僕の反応に注目しているのが分かった。僕は、そこで大げさに驚いて、生徒達の受けを狙うことも考えたが、その時は頭のどこかに、昆虫採集の話をしてクールに微笑まれた無念さがあったのだろう。何とかして僕が虜になった昆虫たちの色彩や形の配置の妙を生徒達に伝える方法はないだろうかと考えた。そして、安易な方法をとらずに、その箱を開けて「すごいきれいな色の幼虫だね。何の幼虫だろう。たぶん蛾の種類ではないかと思うけど、持ち帰って調べてみてもいいかな」と言うと、仕掛けた女生徒達が意図に反した僕の反応に拍子抜けしたのか、仕方ないなという顔つきで頷いてくれた。
 持ち帰った幼虫は成熟していたと見え、翌日には美しいグリーンの色は見事なオレンジ色に変化し、箱の中で蛹になりかけていた。蛹をそっと箱から出して、大きなプラスチック容器に移し替えた。この時になるべく蛹に手を触れないようにしたのは、以前カブトムシの蛹を見つけた時に、手でいじり回して黒く腐らせてしまった反省があったからだった。その何日か後プラスティックケースの中に美しいペールグリーンのオオミズアオの成虫の姿を見つけたときの感動を僕は教室で箱を仕掛けた女子達に伝えたかった。だが、その時に考えたのは、成虫をそのままプラスティックのケースに入れて持っていくことが、果たしてどうなのかということだった。
 僕は、結局成虫はすぐに外に放して、その様子だけを教室でなるべく丁寧に言葉で伝えた。その時に彼女たちを含めたクラス全員の高校生の生徒達の目が、僕の話の中できらきらと輝いていたのを僕は忘れることができない。たぶん、成虫を見せていたらこんなことにはならなかっただろう。僕がいくら美しい思っても、蛾であるという偏見は生徒達の中に根強くあるであろうし、虫の嫌いな生徒達もいたであろう。僕はその時の自分の判断の数少ない成功の喜びとその時の生徒達の様子を、数少ない故に、今でも頭の中に鮮やかに蘇えらせることができる。
 

 投稿者:山本 洋  投稿日:2017年 4月 7日(金)05時22分46秒
返信・引用 編集済
  自分への戒めとして、書斎に掛けました。
 

スタンド・バイ・ミー

 投稿者:野村理英子  投稿日:2017年 4月 5日(水)09時21分39秒
返信・引用
  スタンド・バイ・ミーを昨日、受け取りました。ありがとうございました。いつもいた人が居ない寂しさを感じます。  

nomuraさん ありがとうございます。

 投稿者:山本 洋  投稿日:2016年 8月18日(木)17時18分16秒
返信・引用
  nomuraさん。旅行につき、返信が遅れて申し訳ありません。拙作を飽きずに読んでいただきありがとうございます。掲示板に久々の反響も嬉しい限りです。今後も読んでくださいね。「サーチ」は、この前神奈川県で身障者施設襲撃の悲しい事件が起こったことに対してのメッセージでもあります。  

4月の空 3

 投稿者:山本洋  投稿日:2015年 4月18日(土)05時12分43秒
返信・引用
  2015年3月、ドイツのメルケル首相は、来日講演の中で、「ドイツが戦後、国際社会に受け入れられたのは、過去ときちんと向き合ったため」と述べた。メルケル首相は講演で、ヴァイツゼッカー独大統領(当時)の1985年のスピーチ「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」を引用し、ドイツは戦後、かつての敵国とどのようにして和解することができたのか、との質問に対して「近隣諸国の温情なしには、不可能だった。ただ、ドイツ側も過去ときちんと向き合った。ドイツはナチスと正面から向き合ったから今がある」と言った。「ドイツは過去ときちんと向き合った」こと、「福島原発事故に学んで脱原発の決定を下した」ことを語って、上品かつやんわりと安倍政権の歴史修正主義と原発再稼働方針を批判したが、「言論の自由」についても、「言論の自由は政府にとって何の脅威でも問題でもない。さまざまな意見に耳を傾けなければならない」と強調した。
 日本は歴史と真摯に向き合っているのだろうか。ヘイトスピーチを垂れ流しにして、侵略戦争を正当化しようとする流れがある。戦争は経済を潤すと言う論理がある。アメリカは大儀なきイラク戦争で、決定的に経済が破綻した上に、「イスラム国」の脅威をも生み出してしまった。もし潤うことがあっても、その潤った経済の下には累々とした戦死者の骨が敷かれることになる。
 歯車が「かつて来た道」を辿りはじめた時、時代のストレスと引き替えに狂気のように過剰に適応する人々がどれ程多くいるかを想像することは容易だ。それでも時代の歯車は廻り続けるだろう。やがて大きな「強い者」が、弾劾される時代が訪れて、自ら従ってきた愚をも見つめ直さなければならなくなった時に、果たして真摯にそれを見つめられる者がどれ程いるのか。分からない。
 四月の空にはそんな「わからなさ」とは無関係に白い雲が流れ続ける。
 暑い夏に、蝉の声が響き続けるその中で、突如戦が終わったように。それは突如訪れて、突如去っていくのだろうか。
 空の色の良い日に、川沿いの道をランニングして戻り、猫の額の庭の空間で水を飲む時の幸福。そして、空っぽになった頭のまま、樹木の先端にとまる小さな昆虫が、光りに照らされて微妙な色に見えたり、足下の菫が宝石のような色の露の水滴をたたえていることに気付いた時の幸福。こんなささやかな幸福を守っていきたい。守るべきものとは、そうしたささやかだがかけがえのない幸福を、時代の移り変わりとともに蹴散らし続けてきた「国」などではない。何ものにも束縛されず、何ものに脅かされることもなく、ほんのささやかな物事を感じ取る感性を保ち続けることのできる幸福。これこそが今、われわれが本気になって守らなければならないものだと思う。
 

4月の空 2

 投稿者:山本洋  投稿日:2015年 4月17日(金)05時51分15秒
返信・引用
   映画監督の伊丹万作がかつて、戦争責任の問題を嘆いた文章があるので紹介しておこう。
「最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏ほきようにつとめていたのであろう。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱せいじやくな自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
 しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
 たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
 しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
 なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)――「戦争責任者の問題」伊丹万作――
 

4月の空 1

 投稿者:山本洋  投稿日:2015年 4月16日(木)05時10分3秒
返信・引用 編集済
   2015年4月。雨の間を縫って晴れた空が広がる。そんなときの空は青く、雲が水のように流れている。川沿いの桜は、今年はやけに花が多く、風に舞った花びらが川の流れの緩やかなところに溜まって白いモザイク模様を作っているのが美しい。
 我が家の一坪半程の猫の額のような庭に椅子を置いて、空を意識しながら、海からの風を感じてじっとしている。五十代後半のこの頃になって体の奥の方で変調が起こりつつあるのを意識することが多くなった。胸の奥の方でぞわぞわするような感覚がいつも残っている。常に何かをせきたてられているような感じだ。人前に立つのが極度に嫌になり、仕事を続けることにも疑問を感じることが多い。精神的な部分に負担がかかっているからだと思う。自分の節を曲げて行わなければならないシーンが多すぎるのだ。
 状況が、雪崩を打ってある方向に流れようとしている時に、唖然としたままそのシーンを見送ってしまうことがある。軍備を放棄したはずの国が、「集団的自衛権」の閣議決定により、外国で戦いに加わることができるようになってしまった。「経済発展」のために輸出大企業が堂々と武器を輸出できる国になってしまった。日本が戦後七十年間戦争という悲劇を起こさなかったのは憲法九条の存在だった。しかしその存在を過去のものとして葬り去ろうという動きが広がりつつある。
 形のない「精神主義」を強制や戦の道具に使うこの国独特の前近代性。しかも、戦前の流れよりも露骨にそれらは広げられている。何をそんなに急いでいるのかと惨い事件が毎日のように起こるこの国の空の下で思う。
 空には水の流れのような雲があり、青々とした透明さが笑っている。
 極度に締め付けられた状況の中で、出口が見つからないような悲惨な中にいると、人間はその中でいちばん権力を持った者に、愛情に似た感情で従う性質を持っているという。例えば、どこかの銀行に強盗が銃を持って押し入り、人質を取って立てこもった時、そこにいた少女が自分の命を握っているその強盗に恋情に似た感情を抱いたというあれだ。人間は弱い生き物である。今の我が国のように出口のない、閉塞した状況のなかで、強盗に当たる者が誰なのか知らないが、そんな強盗に恋情に似た票を入れ続ける人々。「強い」者に賭けることは、自らリスクを負わないことだと尻馬に乗りたがる人々がうそぶく。状況が傾けば、直ちにそれに従わない者を弾劾し、告発し、指弾する隣の人々。自らは従っていることをことさら強調してみせることで弾劾されることを避けることは、不幸の手紙や、ネズミ講に似た構造を持つ果てしない泥沼に等しい。
 戦後民主主義とは何だったのか。失われることで徐々に明らかになっていくその脆弱な思想体系。どこかの大国が崩壊したことで、その思想までが死んでいったと錯覚し、黙り込んだ「思想家」達の国。思想とは流行り廃りで変わるべきものではなく、勿論他国の状況で変わるものでもない。むしろ思想は今のような苦しい時代を経て作り上げるべきものだ。
 近代は終わったと勘違いしている人たちがいる。日本には近代さえ訪れていないと夏目漱石は言った。外発的付け焼き刃の西洋化が、内発的な変化を追い越してしまったために起こった捻れ現象を今も引きずっている国日本。その都度「強い者」に自らの精神的リスクを減らすためだけに従ってきたために、実体すら分からなくなって閉塞している国で、人々は自分を見失い、より弱い者にしわよせをはじめている。核廃棄物の処理の仕方さえさえままならない原子力発電所が再稼働され、その不完全な技術を輸出し続けている国。核で汚された土地はこの先目の眩むような年月の間、汚染が浄化されることはないと言う。この状況を作ってきた大人達は、そのリスクを次の世代にそっくり背負わせようというのだろうか。何も見えないままに時代は大きな歯車を回し続ける。どこに向かって歯車はその軸を回しているのか。分からない。
 

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